江戸川の河口

平成15年2月8日(土)晴のち曇


 
テレビを見ていると、アメリカのスペースシャトル「コロンビア」の空中炎上爆発のニュースが定時ニュースの時間になると必ずトップで、毎回報じているが、宇宙に興味を持っている私には、本当に残念で心から犠牲になった乗組員全員のご冥福をお祈りいたします。
 天気予報では今日から2、3日温かくなるというので、これまでにも何回といったことのあるディズニ−ランド(入場したことはない)方面に出かけるつもりで午後1時30分に出発した。まず、八広中央通りを北進して荒川に架る木根川橋を渡り、一段高くなっている綾瀬川の左岸の土手(歩行者と自転車専用)道に、はいり首都高速中央環状線の下を車の心配をせずに、悠々とのんびりと春風には今一つ冷たい南風を受けながら中央環状線のS字斜橋の下を通り、中川に架る上平井橋を渡り、そのまま下り勾配の激しい直線道路を一気に下り、次の信号まで惰性で行ってしまった。
 右側奥の上平井小学校を過ぎると、平和橋通りになり、かまわず横切って道なりに行く左側に上平井中学校あり、そのまま行くと蔵前橋通りになり、何時もなら横切ってJR総武線の小松橋陸橋を渡ると江戸川区(
昭和7年10月「7町村が合併して江戸川区誕生(人口約10万人)」で、環状7号線の松本弁天交差点の方に行くところですが、信号が変わったばかりなので蔵前橋通りへ左折して気の向くまま、何時もの気まぐれが頭を持ち上げて行き当たりばったりで目的通りに進めて行かれるかどうか。
 何時もそうなのだが、交差点で信号待ちしているのがジレッタイのと待っているのなら自転車を止めずに次の信号で横断すればいいやと行ってしまうから、少々大回りになるのは運動のためにしているのだから気にしない気にしない。真直ぐ1qも行くと環七と交差する総武陸橋下の交差点をそのまま直進すると新小岩と金町間を走る貨物線が上を通り、そして新中川の上一色橋を渡り、直ぐ右折して暫く、土手沿いに行くと自転車と歩行者専用の上一色中橋があり道路なりに土手から下り左にカーブすると信号があり、右折してみたが、ここを行くのはイッペンも行ったことがないので、ちょっと不安だったが「私には、こんな狭い東京」という気持があったので、ママよと行くことにした。
 その直上はJR総武線で、ガードをくぐり新中川から50bぐらいしか離れておらず、交差点の右を見ると必ずはちに上る坂とはしの上部が見える。この川は旧中川が曲がりくねっていて河川の土手が整備されていない頃、よく氾濫して洪水が起き、新しく放水路を既に町があったところに作った関係か、500bおきぐらいに1本架っている。その中の一つの辰巳新橋が右に見える交差点を過ぎると、右に塗装し終えたばかりの江戸川区立下小岩小学校が陽射しにまぶしかった。隣り合わせのように直ぐ2階建の小岩ポンプ場があり、次の橋で、まだ京葉道路がない頃には千葉県の市川市方面に行くには、狭いこの千葉街道と蔵前橋通りしかなかった。
 橋の名前と同じ二枚橋という交差点を進むと右に大きな片山病院があり、左に竹が沢山生い茂った泰燿寺があった。すると都内の町中では珍しくなった送電鉄塔が道路を横切っていた。
 南小岩から鹿骨に変わると松本橋東の交差点で、右には松本橋がある。左側は一般の住宅が空地もなく並んでいるが、右側も同じように住宅が並び、その間に松本小学校、鹿骨小学校が僅か400bぐらいしか離れていなかった。そして西之橋交差点であるが、ここにも右先に橋があるが、道路は川までの間がクランクになっているので橋の姿は見えなかった。曲がらずに真直ぐ行くつもりだったが、信号待ちが長かったので、左折した。ちなみに、真直ぐ行くと道は二股に分かれるがどちらも京葉道路に出る。そして今井橋まで行けば目指すディズニーランドへは一先ず戻れるが、またまた、道を逸れた。新中川は江戸川沿いにある児童交通公園脇で合流するが、下流へ橋は、ここ鹿本橋、大杉橋、一之江橋、椿橋、高速7号線、春江橋、明和橋、瑞江大橋、瑞穂大橋と約3q間に8つも架っている。
 左に曲がると、信号3つ目の前沼橋の左先角に鹿骨東小学校があり、さすがに人口が増え続けている江戸川区だなと思った。この辺には、まだ自分の子供たちが小学生の頃(30年前)には、ハゼ釣りに車でよく通ったがその頃は、歯が抜けたように疎らにしか家はなかったが、今は違う僅かの距離の間に小学校が3校もある過密地帯に変わっている。今、私の住んでいる墨田区八広では、子供達が減り続けて、とうとう、この3月いっぱいで我母校は廃校の憂き目で、2月22日(土)午前10時からは閉校式典とお別れ会が行われるが、開校して75年を以ってお別れです。我家では2代通いましたが、中には4代も通った家もあるそうです。
 昔は下町一帯を隈なく走っていた路線バスの京成バスを久しく見かけた。後ろから追い抜かれたが、次の信号で追いつき、バスにはかなりの人が乗っていた。前沼橋は鹿骨親水緑道と交差する交差点で一つ先の虹の家交差点は、今通っている鹿骨街道と柴又街道が交差する柴又街道に面して、右先には小岩消防署があり、鹿骨街道前方左面には「虹の家」がある。

虹の家 
〒133−0055
 
西篠崎2−18−22 
電話367ー63391 
虹の家・鹿骨3丁目バス停下車
虹の家・みんなの家・えがおの家は、
18歳以上の重度の知的障害者を
対象とした通所施設です。心身の
発達を促進し、基本的な生活習慣
や社会生活能力などを開発する
ための訓練を行っています。
なお送迎にはバスを運行して
います。

柴又街道は京葉道路谷河内交差点から北進して水戸街道の金町までほぼ一直線で結ばれている。又、この辺りは区画整理がよくできていて碁盤の目に整備されている。きれいなカラー舗装された歩道を江戸川土手に向って進むと、T字路になる。この道路は篠崎街道で、右に曲がって、右後ろを振り返ると、地下鉄新宿線の篠崎駅前の高層建物が数棟見えた。左側にはチラチラと江戸川の土手が見え隠れしている。もう目の前は京葉道路(昭和35年4月開通)だった。ガードを潜り、緩やかに右にカーブすると右に区立篠崎図書館、隣が篠崎公園で、ポニーや馬の馬房があり、のんびりとついばんでいた。篠崎街道から区営グランドのある土手に上がり、河川
敷を見ると、


   
篠崎公園馬場(河川敷)

      江戸川水閘門

     
ならんでる釣具店

 左に京葉道路の江戸川大橋が見え、正面に馬やポニーに騎乗出切る3種類の大、中、小と大きさが違う馬場があり、中は馬、小をポニーと別れて使っていた。ダントツ人気はポニーだった。親子で、50組ぐらいの行列だ。ポニー3頭で一周して次々に交代していたが温かくなると更に人気者だろう。
 江戸川区には、もう1ヵ所ポニーやうまに乗れる所がある。そこは、さらに下流の首都高速湾岸道路に近い「なぎさ公園」で、私も孫を連れて2度ばかりポニーに乗せに行ったことがある。季節季節の花もきれいだし、水上バスも江戸川を上り下りしているので、桜の咲くころにはお勧めします。
 そして、1番右は江戸川が二股に分かれ手前が浦安の方へ流れて行く江戸川で、左が行徳と市川市の間を流れる放水路。ここまで来たところで、昔、子供たちを連れてハゼ釣りによく行った場所がどんな風に変わっているのか急に興味が湧いてきたので、行き先は変えることにした。
 暫く、土手の舗装された道路を行くと、
水門が2つ見え看板には成り立ちの説明が印されていた。読み終えて写真を撮り、水門の横の道路に入っていくと水門と水門の間が島になっていて直ぐ下流で一緒になっていた。二つ目の水門の下を流れる水路の方が倍以上広かった。水上バスはこちらの方を利用している。そして、放水路の土手を行くと古い、浦安から行徳可動橋を渡り市川や船橋方面へ行く道を左折して、橋を渡り始めると、車道も車1台がすれ違うのが、やっとという狭い道路だが、歩道も同じように細い、カメラで水門の写真を撮っていると通りすがりの人が「よろしいですか」と声をかけて行ほど狭かった。
 行徳橋を渡り切るとT路地で長い長い赤信号を待ち右折して、道路になっている土手の隅を走るはめになったが、釣客に見えるようにのぼり旗数本立ち、ツリ舟、乗合、夜=アナゴ、カレイなどの旗がはためいていた。直ぐ坂を下ると左側には、常磐道17K、湾岸3Kと書かれた道標があり、細い路地を横切ると日本ロジステック(トランクルームのISS),丸一鋼管、住宅、アパート、土木機械置場とならんでいた。右側の土手沿いには新聞の販売所(日経、読売、報知)、ラーメン屋、牛乳販売所、酒屋、マンション、建築現場などが両側にあり、左側のみ歩道があった。この辺の記憶も薄れかけていたが、道成に記憶をたどりながら行くが、建物が随分変わっていて、本音「
わからない」。道路も以前より広くなり歩道などが整備された関係か、不安になったので土手の方に向い放水路に架る(江戸川放水路水道橋)下までわざわざ見に行き写真を撮って戻り、土手の見えるくらい離れた道を下流に向って行くと、東西線の鉄橋ガード下を抜け真直ぐ行く道を進み、少し、土手から離れたので右折し路地を1本右に寄ると右に法務局があり、左に曲がると司法書士の事務所が5ヶ所、測量事務所が1ヶ所が並んであった。さらに行くと、また、江戸川放水路水道橋があり、その真下辺りに古い古い小さな社(大鷲神社)が左にあり、周りを取り囲む大きな木の上で鳩が「グルーグルー」と姿は見えないが鳴いていた。


      (大鷲神社)

      (ゴミ焼却場)

      (日新製鋼桟橋)

        (0q)

      (水道橋ー1)

      (水道橋ー2)

 水道橋を抜けると、一気に釣舟屋やノボリが風にはためいていた。ここから、土手の上に上がれる小道があったので土手の上に出た。すると一気に見晴らしが利き東西線(昭和44年3月開通)の鉄橋、河川敷に河原干しになっているボート、川向こうの築山、ガスタンク、京葉線の鉄橋、市川グリーンセンターの建物と四角い煙突と360度のパノラマだった。土手の道も最初は舗装されていたが、4/5は雑草と獣道のような薄っすらとわだちがある誰もいなかったので、三橋美智也の歌をちょっと大きな声を出して口ずさんで湾岸道路と京葉線の下をくぐったが、土手も改修されて幅員もなり、今の季節は雑草も刈り込んであり、自転車でも歩いても進みやすかった。左に90度カーブすると右端に0qの道標が立っていた。
 0qのポールを見送り土手を離れて、一般道に戻るとT路地になり右に行くと工場団地になる。左角は消防署で、明治屋の倉庫、クボタ鉄工、淀川製鋼、福山通運、三菱液化瓦斯 市川港だった。反対側の右側は、日本蒸留工業、住興業、東京製線、住金物流、日新製鋼が並び港だった。日新製鋼の工場の桟橋からは積荷を終えた市川丸が、今、出航という汽笛を鳴らし、桟橋から静に前方を右に回転させて離れ始めていた。次第にスクリューの回転する音が大きくなり完全に1回転すると桟橋のクレーンの陰に隠れてしまった。空を見上げるとパラグライダーがこちらの方に向って飛んできたが、やがて方向を変えて飛び去っていたが、再びこちらを向いて飛んできた。どうやら八の字を描いて飛んでいるようだ。カメラはバッテリー切れでドウにもならなかった。ちょうどサイレンも鳴ったので帰ることにした。
 きた道を日新製鋼の所から、左に入る道路を行くと川岸まで行けたが、ここが正に見覚えがある、何度も何度もやって来た「
釣場」だった。当時は、この土手際は東洋鋼鈑の工場が上流、下流に向って建物が並んでいてコンクリートの護岸に腰掛けて釣り糸を垂らした所だったが、当時は下流には行くことが出来なかったが、今は、最南端の先程の反対側から眺めた桟橋が真近に見られた。そのまま曲がらず通り過ごせば、うっかり見過ごしてしまう所だった。暫く周りを見晴らしていたが、30年前に来た時と環境的には変わっていないようだった。そのまま首都高速湾岸線に平行している国道357号線まで戻り、JR京葉線、へ高速道路の下を通り下り線の歩道ヘの超急坂を登ると、江戸川放水路に架っている市川大橋を渡り切ると、この辺は昔、海岸線かなと思わせるコンクリートの土手が次の交差点の高浜まで続いていた。スクラップ・ヤードFOWA金属、市川エコ・プラントの高俊興業、川向こうからもよく見えた築山、雨も大分降っていないのに道路に染み出た水が大きな固まりになっていた。そして嫌な匂いもしている。地元の人に聞くと「昭和新山」というのだそうだが、どこかで聞いたことがあるね。首都高速湾岸線、国道357号線を下る時にはお目にかかっている方も大勢いるのではないかと思う。高浜の交差点を渡ると道路脇の工場に入る道路と歩道には脇の下ぐらいの高さの柵がしてあり、うっかりして直進すると歩道の入り口まで戻ることになる。私も、まんまと嵌ってしまった。歩道は次第に上り坂が険しくなり、市川野鳥の楽園に通じている運河に架る千鳥大橋だ。運河手前には大型工作物の亜鉛メッキのガルバテックス行徳工場や倉庫、プラント工場が並び、千鳥町ICがあり、行徳警察署前交差点、右に行くと地下鉄東西線行徳駅。かまわず、横切って行くと右の土留めの上にブロックが8段積み上げられた塀の中に待つの木の枝が見えるが、塀と松に遮られて中は完全に遮断されている。左の首都高速湾岸線が、低くなった所が、市川塩浜駅、右の塀がなくなったところが、塩浜交差点で右前方前が、塩浜市民体育館、右角がYOSHINO工業で会社の角を右に曲がると突き当たるように「市川野鳥の楽園」で左に曲がると左に市立塩浜中学校、市立塩浜小学校と並び、左にカーブすると右に県立行徳高等学校が左先に、都市基盤整備公団の3棟が並んでいた。道路は先程右折せず直進して真直ぐ来る道に出た。ここはT路地で道路に面して都市公団の賃貸住宅ハイタウン塩浜(1部オープン・ルーム公開、居住者受付中)が16棟(13階以上)が堂々とそびえ建っている。猫実川に架る「しおはまはし」(昭和47年11月竣工)で、右は行徳鳥獣保護区間での間は暗渠になっている。左は川で、20年以上前に取引をさせてもらったお得意様を思い出し尋ねて見たが、土曜日のせいか全面的に休業日のようで残念ながら素通りして、北栄1、2、3、4、丁目を通り東西線のガードを潜り、当代島1、2丁目を抜けて江戸川の土手に出た。反対岸は新中川が江戸川に合流している所。ガタガタの土手の上を今井新橋の下まで進み、階段が3段ある、人が1人僅かに通れる隙間から下りこの橋を渡り、江戸川区に戻ってきた。篠崎街道を横切り瑞江大橋を渡り、一之江の環七を横切り、一之江3丁目の親水公園の城東電車やトロリーバスのレリーフや平成8年に建てられた石碑を読んで今井街道を小松川橋まで、スイスイと来た。不思議にここまで両側に駐車している車が1台もなかった。何か良い方法を実行しているのでしょうか、それともタマタマ偶然だったのか?確かに車が駐車していないと狭い道路も広く感じるし、交通事故だって減るだろうし、住みやすい町にもなるだろし、素晴らしい光景だった。非常に気持いい晴れ晴れとした心で、荒川を渡れる。ここまでで、気が付いたことが、もう一つある。それは、親水公園、親水緑道の多いことでした。小松川橋は夕闇で街灯やネオンが瞬き昼間とは、また変わった景色で、眺めながら坂を下った左の小松川4丁目の再開発では建物も道路も思い切った規模で行われて、付近一帯は様変わりすることだろう。
 中川新橋手前の逆井の交差点で右折して旧中川沿いに北進して、蔵前橋通りの江東新橋東の交差点を横切り宮田通りを左折して平井橋を渡り、右折して右に左に大きくカーブする川沿いの道を中平井橋交差点で左折し、中平井通りを進み中居堀通りを横切り、T路地を右折すると「花みずき通り」だ。この時期では午後6時30分は夜。