東京湾埋立地、夢の島
(第2部江東区編)
第2章 歩行者天国
快晴の空を見上げたら、つい出掛けたくなりママチャリに乗り出発していた。八広保育園の前を通りはなみずき通り横切り中居堀通りを右折して、福祉会館の前の信号を過ぎ、次の信号を左折して墨田区のゴミ焼却場の脇を通り≪すみだ健康温水プール≫を右に見やりながら正門前に出た。今この焼却場へは、墨田区はモトヨリ、荒川区、台東区の3区から毎日清掃車が、明治通り、八広中央通り、はなみずき通りを列をなして走っています。
墨田清掃工場全景(写真)とプロフィール
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排ガス状況監視盤(5月6日) |
硫黄酸化物 0ppm | 硫黄酸化物 法規制値 300 |
自己規制値 20 | |
窒素酸化物 37ppm | 窒素酸化物 法規制値 250 |
自己規制値 60 | |
塩化水素 0ppm | 塩化水素 法規制値 430 |
自己規制値 15 |
その他、ダイオキシンや臭素など今話題のものの表示はありませんでした。
清掃工場を見学してゴミ問題について、みんなで考えましょう。東京湾の埋立地は数年後には満杯になってしまうということも現実なのですから。工場の見学も23区内に在住、在勤、在学の人なら個人でも、10名以上なら随時受付をしているそうです。(рR613−5311)
正門前の中川の土手通りを右に行くと、信号があり右折すると左にゴルフの打ち放しの練習場がある。そして、中居堀通りを左に行くと右に建築中のマンションがあり、広告看板には、コスモシティ亀戸(すくなくとも、ここは八広だぞ)、建主(リクルートコスモス)、施主(大林組)、3LDKで2,700万円と書かれていた。かなり安くなったかな??
そして明治通に出て左折して中居堀交差点で丸八通りと明治通りが2本に分かれる。まず、明治通りを行きます。すぐに、東武鉄道、亀戸線、小村井駅前の踏み切りを渡り信号を3つ過ぎると、福神橋の袂になります。右に大沢梅次郎の銅像と石碑があり(第1部を参照)橋を渡ると右に
『香取神社』(亀戸3丁目57番22号)
天智天皇4年(665年)の創立と伝えられる区内で最も古い神社。当時この地に中臣鎌足が訪れたとき香取大神を招き太刀一振を納めて旅の無事を祈願したのがおこりといわれる。江戸古跡十二社の一つ。植木市の元祖といわれ、4月初めの市は人々で賑わう。また、5月5日の勝矢祭は古式豊かに行われる。
左に、都水道局亀戸増圧ポンプ所『亀戸4丁目28番2号』、東部建設事務所、香取小学校見ながら坂を下ると蔵前通りの交差点で、右前の但元いり豆店付近は沢山の<ハト>が飛び交い、歩道は糞でいっぱいだった。蔵前通りを右に行くと、信号2つ目に亀戸天神参道前があり右折すると、藤の花で有名な亀戸天神社がある。
『亀戸天神社』(亀戸3丁目6番1号)рO3−3681−0010
天神社は寛文2年(1662年)九州太宰府天満宮の宮司が神木飛梅の木で菅原道真の像を造り祭ったのが創建といわれ、学問の神様として信仰を集めました。道真のちなんだ筆塚や歌碑など有名な碑が数多く残されています。
また、梅や藤の美しさは、広重の「名所江戸百景」であまりにも有名ですが、現在でも、心字池の周りいっぱいに咲き誇る藤の花は都内随一で、新東京百景の一つにもなっています。
毎年1月24・25日に「うそ替神事」が行われます。これg¥は、前年受けたヒノ木の一刀彫のウソ鳥を求めると、いままでの不幸をウソにし幸にトリ替えるという行事で、毎年たいへんな人気を呼んでいます。亀戸天神社を出て亀戸4丁目の交差店に戻ると歩行者天国が始まっていた。
亀戸4丁目交差店から駅前まで約200mが歩行者天国(午後1時〜5時)で一般の商店と道路両側に並んだ露天商と見物客で身動きできないほどの人出だった。私も昔、近所の神社のお祭りの縁日を久しぶりに思い出して、思わず、ミーちゃん、ハーちゃんになり露天の店を除きこんでいた。あめや、まめや、帽子や、キセル、パイプや、綿菓子や、風船細工や、割きイカや、トウモロコシ、こめを焼き膨らめる爆弾や、あるいは発破や、ヨウカンや、なら漬けや、衣料品や、今川焼きや、鯛焼きや、お好み焼きや、大阪焼きや、ぼんぼんすくい、金漁すくい、のしイカなど、そのほかにもいろんな屋台が所狭しと並び繁盛しているように見えた。ほんの僅かな距離でしたが、楽しみ過ぎて時間の過ぎたのを忘れていました。
京葉道路を過ぎると目の前に高速7号線が見える、ここの高速は竪川の中に橋脚を立てた道路です。今は一部が埋め立てられ遊歩道のなって居ます。橋の左たもとに(左右に行く道路を旧千葉街道の看板あり)解説磐によると、この橋を名前は。
『五之橋』≪平成4年3月≫
五の橋の下を流れる竪川は、万治2年(1659年)本所築立奉公であった徳山五兵衛重政及び山崎四郎左衛門が大横川横十間川と共に新田開発を目的として開削した用水路であった。
竪川の開削に合わせて西の方から、一之橋を始めとして五つの橋が架けられた。当時この付近は畑地で多くの人の往来も少なかった。御府内備考によれば「御入金無益之場所」として貞享元年(1684年)本橋は取り払われ船渡しとなったといわれている。元禄8年(1695年)五百羅漢寺が建立されたため、この渡しを利用する者も多くなり、「羅漢の渡し」や五ッ目渡し」と呼ばれ、人々に親しまれてきた。その後、明治12年(1879年)に木橋が架けられたが大正12年の大震災により落橋した。震災復興により昭和3年木橋は鋼橋に架け替えられた。。戦災にも耐えた本橋は老朽化により昭和50年再度架け替えられた。親柱は震災復興記念として、現在も残されている。亀戸、大島地域の発展に大きな役割りを果たした、この橋は昭和63年東京都著名橋に指定された。
京葉道路の亀戸駅前交差点から左に100mも行くと旧都電軌道跡が整備された公園で、緑の散歩道で憩いの場として親しまれています。城東高校の方まで約800m余りもある荘です。これが大島緑道公園です。
『大島緑道公園』
この公園は、昔、亀戸水神のから葛西橋へいていた、線路跡に1978年に出来た長さ800mの公園で、その頃、両側に植えられた若木が成長して、花のトンネルが出来るほどになり、老若男女が≪さくらまつり≫を毎年楽しでいます。≪さくらまつり≫期間中に取った写真の写真展が(喫茶店「ジュン」で行われています。
五の橋を渡ると、左に、学校法人 秀林外語専門学校あり、となりは東京電力江東支社で道路の向う側には国際留学生会館もある。新大橋通りの手前右奥貨物線の向うには愛宕神社がある。
『愛宕神社(小林一茶住居跡)』大島2丁目15番4号
芭蕉・蕪村とならぶ江戸時代の俳人一茶は享和3年(1803年)、愛宕神社(大島2丁目6番付近から現在地へ移転)に住み、わかりやすく人情味豊かな句風をうちたてた。
都営地下鉄の西大島のある、新大橋通りの左角には、7階建ての総合区民センターがあり、<江東区 平和都市宣言のまち>の搭や五百羅漢の碑、男女の像あり、行き過ぎると左に14階建ての大島4丁目団地『4・5棟』あり、リニュアルした住宅のモデルルームの公開(3号棟252号)と先着順受付(平成13年4月25日〜5月10日)の大きな看板がアル。また、団地の前を右に入って行くと釜屋堀公園通りで、貨物線の先、横十間川(堤防の中に遊歩道あり)の手前に、江東工業高等学校があり、傍に釜屋旧跡もある。
『釜屋旧跡(工場発祥の地)』大島1丁目2番釜屋堀公園
近江出身の太田氏釜屋六右衛門と田中氏釜屋七右衛門は江戸へ出て大島にて鋳造業を営む。この一帯が工場となる。両家とも明治時代になって廃業。この地に釜屋旧跡標柱がある。釜六作(世田谷 浄真寺の大茶釜、墨田 回向院本尊の大仏)釜七作(目黒 羅漢寺の水桶)。
明治通りに戻ってくると、直ぐ小名木川がある。この川は徳川家康が行徳から塩を江戸に運ぶ為に彫らせた川だそうです。川沿いの左に大島第4中学校あり、橋の左たもとには、江東区公衆便所もある。川に架る橋の名前は新開橋です。坂を下りきると右に貨物線の小名木川駅がある この駅は2001年度中に廃止され、江東区小名木川駅(約10ヘクタール)は開発計画があり、日本貨物鉄道(JR貨物)跡地に関して共同の事業参加者を募集しています。土地の利用計画、事業計画など、共同で事業を行う予定だそうです。それによると、
所 在 地 | 江東区北砂2丁目 |
地 目 | 鉄道事業用地(現状) |
面 積 | 約10ha |
地 域 地 区 | 準工業地域、第3種高度地区、日影規制 |
建 蔽 率 | 60% |
容 積 率 | 300%(一部400%) |
土地所有者 | 日本貨物鉄道(JR貨物)株式会社 |
以上のように発表されています。また、
≪提案者の資格≫
提案済企業【イト-ヨーカ堂G】【三井不動産G】【ジャスコG】【ユニーG】【マイカルG】
『延べ床面積50,000u以上の商業施設を経営する能力と実績を有するもの。』
『住宅延べ戸数1,000戸以上の住宅を建設し、販売する能力と実績を有するもの。』
『土地利用計画、施設計画、事業計画の提案。』
の中から当選案が選定され次第、HP掲載予定。
≪事業の仕組み≫
『商業ゾーンは、JR貨物が土地建物を所有し、量販店に賃貸。』
『住宅ゾーンは、JR貨物が不動産会社等に土地売却、場合により共同分譲。』
≪スケジュール≫
提案期限 ; 平成12年2月28日〜4月中旬
鉄道事業用地としての利用終了及び更地化予定 ; 平成13年度中
これが江東区小名木川駅開発計画だそうです。勉強不足な、私は、今日初めて知りました。
駅前を過ぎるとユックリと右にカーブし終えるえると左にバスの(砂町2丁目)停留所がある左のアーチ型のネオン看板が目に入る。入り口右角(2階建てのザ・激安の看板があったような気がします)は建設中の現場だ。
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商店街の催し
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このように、イベントやJR、地下鉄の駅からかなり離れているという利点を活かして地元に密着して、支持されているのでしょう。
また、私が仕事をしながらテレビやラジオを見たり、聞いたりしていると、よく放送されているようですね。このようにマスコミや商店街の活性化というか、常に積極的に大胆に取り組み、弱肉強食の世界、建物は同じでも、中に入っているお店は変わっていることが、しばしばあるようですね。このような元気な商店街はダンダン少なくなってきているので、頑張ってください。
商店街の向側には、警視庁の城東警察署があります。100mも行くと清洲橋通りと交差する境川交差店です。昔、亀戸水神から来た都電が左折して(旧)葛西橋へ行っていた。右は貨物線と下を道路(清洲橋通り)が立体交差している。さらに100mも進と十間川(今は親水公園)に架る弾正橋がある。橋の中央には、由来が書かれたプレートには、
弾正橋(由来) |
弾正橋は、大正時代城東電機鉄道の鉄道橋として砂町運河に |
を見ながら橋のたもとが葛西橋通りです。右は隅田川に架る永代橋、左は新葛西橋から浦安方面へ、まっすぐ行くと右に青く輝く正面がガラス張りのビルが見える。そばで見ると、川鉄情報システム(株)のプレートがあった。さらに行くと、変則の交差点で右は、永代通りで隅田川の手前(門前仲町の先、永代2丁目)で、葛西橋通りと一緒になり、永代橋から日本橋方面へ。交差点の右300mも行て左に曲がると、江東運転試験場があり、さらに行くと左手前角に警視庁第9方面機動隊があり、左に曲がると、テレビ朝日のスタジオ(2000年3月完成)がある。おもい切って、入り口の守衛や道路の角々に立っている学生アルバイトや関係者に聞くと、本日の夜8時から放送される、≪ミュージック・ステーション≫のため警備しているのだそうです。帰ってきて、テレビのチャンネルを合わすと若い男女のミュージシャンが出演していた。そして、都環境科学研究所、都水道局(東部第1支所江東営業所)と続き貨物線を渡り、一周して明治通りの角には財団郵便文化振興協会ある。
明治通りを進と左右には運輸、倉庫、通信などの新旧の建物や建設中の骨組みが幾つかあります。右には、都土木技術研究所あり、道は右にユックリカーブし、そこには誰も使っていないような横断立橋がポツントある。
新砂1丁目のT路地を右折すると直ぐ、貨物線(先に越中島貨物駅)の踏み切りがあり、そして、東西線の車庫への引込み線のガード(橋梁名=南砂町第1架道橋、平成8年3月)がある。先へ行けば汐浜運河と塩見運河に囲まれた、越中島駅、東西線車庫、トラックたーみなるの前を通って高速環状9号線の方へ行きます。
戻って、明治通りを行くと、左に新東京郵便局(東京小包郵便局)があり、左右には物流センターが多数あり、また、左の奥には大きくて高い煙突も見えるが、夢の島大橋の手前を左に入って行くが、ここには塀があり煙突も塀越しにあるが、何処の会社のもかは、分からなかった。
夢の島大橋(昭和50年3月竣工)橋の上から眺望はよく、区立夢の島競技場や夢の島公園360度の大パノラマ状態だった。
≪夢の島公園≫(夢の島3 рO3−3521−8273)
園内には、総合体育館、屋内温水プール、第1体育室、第2体育室、多目的コート、洋弓場、武道場、多目的コロシアム(球技禁止)、陸上競技場(球技禁止)、マリーナ(マリンセンター、駐車場「2時間300円、1時間超100円」、江東区夢の島いこいの家、花壇、海浜プロムナード、バーべキュウ広場、駐車場管理棟、都江東清掃工場、夢の島熱帯植物園、第5福竜丸展示館、ユーカリ栽培地(多摩動物園のコアラの飼料木になっているユーカリの木が植えてある)、砂町運河(水上バス夢の島乗船場)。ここから、右側の区立夢の島競技場へは2つの橋が架っています。手前の橋が、なぎさ橋、次が、かもめ橋、を渡る。
≪区立夢の島競技場≫(夢の島2 рO3−3522−0846)
一段と高くなった所に、第2種陸上競技場(全天候型)、軟式野球場(3・4・7・8・9・10・11・12〜少年野球場1・2・5・6)、陸上競技場管理事務所、野球管理事務所、モニュメントなど、各種の競技会、区民のスポーツ活動の拠点として利用されています。
≪新江東清掃工場≫(夢の島3番地 рO3−5569−5341
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新江東清掃工場プロフィール | ||
灰バンカ | 焼却炉から出た灰は、灰冷却水槽で冷やされたあと、灰コンベヤで運ばれ、いったんこの灰バンカに 貯められます。 また、ろ過式集じん機で捕集した飛灰も飛灰処理設備で処理された後、ここに一時貯められます。 この灰バンカは、奥行き約5.5m、横幅約60m、深さ約9mで2900m3の容積があります。 |
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触媒脱硝装置 | 触媒脱硝装置では、蒸気式ガス再加熱器で200℃以上に加熱された排ガスに、アンモ ニアガス (NH3)を注入し、 塔内に設置されている触媒の作用で、排ガス中の窒素酸化物(NOx)を窒素ガス(N2)と水(H20)に分 解・除去します。 |
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洗煙設備 | 洗煙設備は、排ガス中に含まれる塩化水素(Hcl)、硫黄ファンを通じてろ過式集じん機から送られて きた排ガスは、急冷洗浄塔内のノズルから噴霧されるか性ソーダ溶液によって洗浄され、排ガス中の 塩化水素(Hcl)、硫黄酸化物(SOx)などの有害ガス成分が中和、除去されます。 次に減湿塔に入り減湿されます。 これは排ガス中の水分量を減らし、排ガスが煙突から出る際に大気によって急冷され、排ガス中の 水分が雲となって白く見える(白煙という)ことを防ぎます。 このあと、蒸気式ガス再加熱器で排ガスを再加熱し、さらに白煙防止を確実なものとしています。 |
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焼却炉 | 焼却炉は連続的にごみを燃やす装置です。炉にごみを送り込む装置としてごみフィーダがあります。 炉の中に入ったごみはストーカまたは火格子と呼ばれる台の上で燃えて灰になります。 ストーカを取り囲んでレンガなどの耐火物とボイラの管の壁が高く上方に伸び、ごみが炎を出して燃 える空間を作っています。 ストーカの上でごみはまず乾燥され、次に炎をあげて勢い良く燃え、最後におき火で燃え切ります。 これらの3つの燃焼過程に対応してストーカも乾燥ストーカ、燃焼ストーカそして後燃焼ストーカの3 つの部分に分かれています。 ストーカは火に強い耐熱鋼でできており、ゆっくりとした前後運動でごみを燃やしながら後燃焼スト ーカの先にある灰の落ち口へ運びます。 灰は、焼却炉の下にある灰冷却水槽に落ちて水で冷やされ、コンベヤで掻き出されて灰バンカに 移されます。 ごみの乾燥と燃焼のために必要な空気は、ごみバンカの空気を吸い込んでストーカの下からスト ーカ上に開いた小さな吹き出し部を通ってごみに送られます。また、炎の上方にも適量の空気を吹 き込んで高温の完全燃焼をめざします。 |
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中央制御室 | この「中央制御室」は、新江東清掃工場にある全ての装置の運転状況を監視し、操作する場所です。 この清掃工場の大きな特徴は、コンピュータにより各機械が自動運転されていることです。卓上のモ ニターで工場内の全ての運転状況が一目でわかり、少人数でも運転ができるようになっています。 |
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余熱利用設備 | ごみを燃やすときに発生する熱は場外の施設にも供給され、利用されています。 新江東清掃工場では、高温水供給方式と低圧蒸気供給方式の二種類の方法で四つの近隣公共 施設に熱を供給しています。 |
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煙突 | 処理した排ガスを大気に放出するところです。高さ150mのこの煙突は灯台をイメージしたデザインと なっていて、内部には各焼却炉から1本ずつ合計3本の鋼製煙突が通って上部のランプの輪は、時計 となっていて時刻を表示しています。 |
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発電機 | ごみを燃やして出た熱から約300℃の蒸気がつくられます。この蒸気のほとんどは蒸気タービン発電 機に送りごみを燃やして出た熱から約300℃の蒸気がつくられます。この蒸気のほとんどは蒸気タービ ン発電機に送られ電気を作り出します。 この発電機は最大50,000kWの発電能力を有し、この量は13万世帯の家庭に電気を送ることができ ます。 この発電機は最大50,000kWの発電能力を有し、この量は13万世帯の家庭に電気を送ること ができます。 |
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プラットホーム | プラットホームには21門のバンカゲート(投入扉)があり、ごみ収集車がやってくると車両管制装置の 指令で自動開閉します。 一方、収集車は車両管制装置の指示を受け指定されたバンカゲートからごみバンカへごみを投入し ます。ここには1日約1,000のごみ収集車がやってきます。 また、プラットホームの出入口にはエアーカーテンが設けられ、ごみの臭いが外に漏れないようにな っています。 |
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飛灰処理設備 | 飛灰処理設備はろ過式集じん機で集められた灰を処理するところです。灰汚水と混ぜられた灰は、 排ガスを使って炭酸塩化することによって重金属類の溶出防止処理をした後、脱水機によって灰と水 分に分離され、灰は灰バンカへ、水分は汚水処理設備にそれぞれ送られます。 |
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汚水処理設備 | 汚水処理設備は工場内の各設備から出る排水を公共下水道に放流するための設備です。
各規制値を守るため、薬品を使って凝集沈殿処理やろ過処理などをして公害となる物質を除去して います。 |
≪夢の島熱帯植物園≫(夢の島3番2号 п@03−3522−0281) 有料
隣接する清掃工場の余熱を利用し、東京の亜熱帯・小笠原から、広く熱帯までの植物を庭園的に美しく植えた「トロピカルガーデン」と、世界の緑に関する情報が映像やVTR等で得られる「緑の情報室」とで構成される新しいタイプの植物園です。
≪第5福竜丸展示館≫(夢の島3番2号 п@03−3521−8494)
昭和29年3月1日、アメリカのビキニ環礁水爆実験によって死の灰をうけた第5福竜丸が昭和43年3月この付近に捨てられました。以来、この船の保存復旧が図られ、昭和50年3月1日、保存館が建設され、昭和51年から公開されています。
これらの施設を見ると、何十年という間、東京都内のゴミというゴミを夢の島という綺麗な名のもとに、作られた人工の島も、江東区民のいろんな犠牲で、今は何事も無かったようにすばらしい、このような町造りが行われ、新木場の交差点には国道357号線と、その上には高速環状湾岸線が通り、交通量も日増しに増加しているようです。並んで走っているのが、JR京葉線と臨海線、そして営団地下鉄有楽町線です。道路左には両線の新木場駅があり、新しく出来た駅らしく、駅前は広くバスターミナルも行き先別に幾線かに分かれて作られています。左角には12階建ての新木場センタービル(雑居)あり、右には銘木団地協同組合の12社の名前の書いた看板もあり、いよいよ木場の町へ来たなと感じました。
夢の島と新木場を結ぶ千石橋(ここには、橋梁灯「9灯」、ランプ「80W×2」、安定器「200V高力率」、光源「水銀灯」、灯具高「3.5M」、設置年月「平成12年3月」、中央に分離帯のある片側3車線の立派な端です。橋の上からはレインボー、東京タワーなど、見渡せます。右に大きく開けていて12号地貯木場です。左は第1貯木場、第2貯木場があります。右の東京材木市場を過ぎるとT路地になります、左に行くと東千石橋で、渡って行くと東京へリポートへ行きます。
まお、400Mもまっすぐ行くと、南千石橋があり、さらに100Mも行くと砂町南運河です。
≪新木場≫ (新木場1丁目〜4丁目)
木材およびその関連産業は、江東区の代表的な地場産業として江戸時代から300年の歴史を持っています。この木材問屋や製材業者が軒を連ねる木のメッカ新木場は、約112万uの土地、48万uの水面貯木場を有し、企業数、生産設備出荷量、流通、販売の拠点として、日本一の規模を誇っています。この島のあちらこちらに、中木場21社、木場東海木材協同組合7社、
東新木材協同組合8社、木場センターグループ10社、木場木材協同組合14社、新木場総合資材協同組合10社など、私の目にとまらなかった看板も数々あったことでしょう。
左折して砂町南運河の向う側の若洲の製材埠頭、建材埠頭にはNIPON
EXPESSとひまわり1が停泊しているのが、この目でかすかに確認できた。また、羽田空港は15号埋立地のさらに向うだ。運河沿いに直線で約1.1KMの間に東京都杭丸太協同組合10社、新木場原木協同組合19社などと書かれた看板あり、道路も左に90度近くカーブし、T路地をすぐ右折すると、右に首都圏物流センター16社の名入看板がある。突き当たりは東京ヘリポートです。この道路は、高速湾岸線から直線でここまで約1.7KMの地点です。右折してこの道路を1KMも行くと砂町南運河に架る若洲橋(昭和49年3月竣工)で、橋の上から釣り糸を垂らしのんびりと釣りを楽しんでいる人達の多いこと、また、下の運河を多分、日の出桟橋から葛西臨海公園を行き来している水上バスか遊覧船でしょう。みずしぶきを上げ力強いエンジン音を響かせて通りすぎて行った。
橋を渡ると若洲海浜公園です。
≪若洲海浜公園≫ (若洲1番地 рO3−5569−6701)
〜自動車で行こう〜
国道357号線、明治通り、高速湾岸線新木場インターより右折して新木場駅を左に曲がり突き当たるまで行き、右に曲がるとまっすぐ、若洲大橋を渡ると当所。駐車場約300台、料金1回500円、開門時間AM6:00〜PM9:00
〜電車、バスで行こう〜
JR京葉線、臨海線、営団地下鉄有楽町線の新木場駅を降りて、都バス(木)11系統若洲公園行きに乗り「若洲キャンプ場前」で降りる。所要時間15分。
東京ベイエリアの87.2万uに、ゴルフ場、キャンプ場、サイクリング道路、ヨット訓練所、人工磯があります。各種イベントに利用できる多目的広場もあり、新しいアメニティゾーンです。
≪若洲海浜公園の歩み≫
【造成の歴史】
現在若洲公園が造成されている15号埋立地は北側第1期埋め立て区域から第4期埋立て区域と三角区域に分けて行われました。昭和40年に始まり最終的にすべての区域で終わったのは昭和49年、ほぼ10年間にわたて行われました。ゴミによる埋立ては、ゴミを含めた上に土で覆うという行程を何度か繰り返す、サンドイッチ工法が用いられており、、中央部ではゴミの層が7〜8層に及んでいます。初めの4年間はゴミの層が5M、土の層が20cmだったのが昭和44年以降はゴミの層が3M、土50cmで埋立てられました。、最後の埋立て区域である現在のキャンプ場と多目的広場はゴミではなく土による埋立てが行われた。
【土壌の違い】
15号地全体は造成断面が北半球部と南半球部に分けることが出来、この両部の土壌の変化を比較検討調査しています。その結果、土壌の通気性や浸透性は次第に良くなってきているものの、土壌硬度が依然と高くて窒素やリン酸が不足していて、アルカリ性を示しているところが多くありました。そこで緑化のための土壌として活用するには何らかの改良を加えるか、植栽の樹種をよく検討する必要が出てきました。
【運土計画】
15号地ではゴミを用いた埋立てが行われたため、軟弱な基盤の上に盛り土であるということで造成には、いろいろなことに留意して運土計画がたてられました。水はけの良いこと、植栽に適した、土壌の客土、盛土による、地盤の変形の特性を十分に把握して、随所への盛土が行われました。
若洲海浜公園は、東京港臨海部埋め立て地に造成された公園です。ここ15号地では埋立てのさい、ゴミと建設発生土を使用しており、これらを交互に積み重ねた「サンドイッチ工法」が用いられていることが、一つの特徴となっています。昔は、江戸前の海であったところも、近年うめたてられ、水域における自然環境の保全と回復を図ると共に、水に親しむ都民の憩いの場として利用される海浜公園に生まれ変わりました。
≪若洲ゴルフリンクス≫江東区若洲35.36番地рO3−3522−3221
〜海に向かってナイスショット〜
〜予約申込方法〜
セルフプレー プレー日1ヶ月前の応当日(プレー日と同じ日。応当日のない場合は末日)の正午から予約専用電話3522-4455で着信順により予定組数に達するまで受け付けます。(コンピュータ予約システムですのでプッシュホン回線の 電話でご利用ください)
コンペ
プレー日2ヶ月前の1日〜7日の間の午前10時から午後3時までの間に予約専用電話3522-3305にて受け付けます。 なお、予定組数に余裕がある場合は、8日(当ゴルフ場の休場日に当たる場合は、その翌日以降営業日)以降当ゴルフ場の指定する予約金納入日まで電話にて予約を受け付けますが、予定数に到達次第締め切りとなります。
この若洲ゴルフリンクスは、昭和40年から49年までの10年間にわたり、家庭からの生ゴミ等の廃棄物で埋立てられた造成地を、55億円の経費をかけて整備したものです。
三方を海に囲まれた54ヘクタールに、6,881ヤード、パー72の、ゴルフの本質にこだわった18ホールが広がります。 名称は、ゴルフ発祥の地、スコットランドでのゴルフ場の呼称「リンクス」を使用して命名しています。 なお、用材には、新宿新都庁舎の建設に伴う残土約35万立米が活用されています。また、ゴルフ場の散水には工業用水を、散水施設の制御システムのエネルギーには太陽熱を利用しています。
ゴルフ場のコース監修は、岡本綾子プロと川田太三氏が行っています。
〜ゴルフ練習場〜(コースに隣接する200ヤードの豪快なショットをお楽しみ下さい。 )
施設
ヤード数 200ヤード(180メートル) 打席数 20打席(10打席×2階建て)
営業時間
7:00〜17:30(6月〜10月)7:00〜17:30(6月〜10月)ただし、10:30まではコース利用者専用です。
休日
毎週火曜日(第3火曜日を除く)1月1日及び12月31日、ゴルフ場の臨時休場日
料金
1球10円
駐車場
1回500円
コースでのラウンドアドバイス(3ホール 1人 3,000円、9ホール 1人 7,000円)
(1)まず、練習場で30分程度のワンポイントレッスンを行った後、ラウンドレッスンを
受けていただきます。
(2)ラウンドレッスンは、各組毎にラウンド後半の3ホール又は9ホールを使って行います。
船渡川、南田プロ他のPGK会員が1名同行し、プレーには参加しませんがアドバイスをい
たします。
練習場でのワンポイントレッスン(1人 1,000円<但し、ボール代は別途)>
1人 1,000円(但し、ボール代は別途)
(1)10分程度のワンポイントレッスン
(2)ラウンドアドバイスは、行いません。
≪ヨット訓練所≫江東区若洲35番地 рO3−5569−6703、
初心者、初級者及び中級者を対象としたヨット教室を実施するディンギー専用のヨット訓練施設です。
ヨット訓練などを通して子供から大人まで多くの人に海に親しむ機会を提供します。身近なところで気軽に海洋スポーツが体験できる都立の施設です。
また、ヨット大会の受け入れなど海洋思想の普及を目的とした行事の実施にも力を入れています。
面 積 陸域:3.2ha 泊地:1.6ha (葛西沖):150ha
管 理
施設 艇庫1棟(床面積:714平米) 浮桟橋5基(延長150m)
監視塔(11.25m)1基
保
有 艇 420級:13艇 スナイプ級:20艇 レザー級:2艇
オプティミスト級(ジュニア用):25艇
救助艇:3艇 エスケープ級(ジュニア用):5艇
≪サイクル道路≫江東区若洲35番地
人工磯を右に眺めて走るサイクリングロード 公園の外周部を1週する、4.1kmのサイクリングロードは、海辺の景観はもちろんのこと、遠く富士山や房総半島などの眺望 も楽しむことのできる絶好のビューポイントです。 また、サイクル広場は、いろいろな形の変わった自転車に乗って体力も養い、楽しむことができます。 〜主要施設概要〜 【面 積】 【約10.7ha】 【距 離】 【4.5km】 【幅 員】 【3m(対面交通)】 【管理施設】 【サイクルセンター、休憩所(1棟)】 【貸自転車】 【コース用自転車大人用(高校生以上)子供用(小中学生)特種 自転車(4歳以上=保護者同伴) 【利用時間】 【2月〜10月:AM9:30〜PM4:30 11月〜1月:AM9:30 〜PM4:00】 ≪多目的広場≫ 全面芝生の広場でいろいろな遊具(アスレチック)で遊べる遊具広場と隣り合わせており、土曜日、日曜日、祝日は家族連 れなどで賑わっています。 【面 積】 【5.5ha】 【管理施設】 【広場(1ha)、便所(2棟)、遊具施設(7基)あずま屋(1棟)】 ≪海釣り施設≫ 海釣り施設は釣り専用の防波堤で、アイナメ、スズキ、アナゴ、アジ、ハゼ、カレイなどの釣り果が楽しめます。釣具えさは 各自持参でお願いします。また、人工磯は10トンの石を配置して人工的に作られた磯あそび場です。 〜海釣り施設(東防波堤))〜 【面 積】 【3.0ha(防波堤と釣り水域)】 【延 長】 【570m】 【水 深】 【3〜9m(満潮時)】 【利用時間】 【AM6:00〜PM9:00】 〜人工磯〜 【面 積】 【2.0ha】 【延 長】 【450m】 ≪キャンプ場≫江東区若洲36番地 рO3−5569−6703 潮風を受けながら、アウトドアを満喫できる都内有数のウオーターフロントのキャンプ場です。テントでの宿泊やキャンプやバ ーベーキューを楽しめる日帰りキャンプができ、宿泊キャンプではキャンプファイアなどで、土曜日、日曜日、祝日は、多くの人 々で賑わっています。 近隣では、多目的広場、サイクル施設、海釣り施設など多様なレクリエーション施設で楽しめます。 【面積】 【5.5ha(内緑地面積:1.5ha)】 【収容能力】 【117テント、ファミリーテント:53テント、教育キャンプ場:64 テント】 【管理施設】 【サービスセンター(床面積314u)、駐車場(306台)、ファイ アサー(5基) 炊事棟(流し台、調理台等設置、5棟)、野外炉 (13基)、休憩者舎(1棟)、便所(4) このように、埋め立て地の上に沢山の施設があり、年間多勢の人々が利用していることが分かります。それは私が、ここへ 何度来ても大賑わいしているからです。 今日も、若洲大橋を渡ると、直ぐ右に曲がり建材埠頭を見ながら左にカーブすると右にバス停があり若洲中央と書いてあっ た。(新木場発、東陽町発)ここが15号地木材専門埠頭です。 若洲ゴルフリンクスの正門前に戻り、これから直線で約2kmも行くとキャンプ場になり、キャンプ場の中のサイクリングコー ス(1週4.5km)をぐるりと一回りします。キャンプ場を抜けると、まず人口の磯が2mも3mもあるような自然石がゴロンゴロ ンうずたかく積まれている。下のコンクリート道路を走ると海は完全に見えません。 上に上がってサイクルロードに戻ると、ネオンが点滅する灯台がある。たぶん飛行機か船舶用の目印でしょう。埋め立て 地の角を曲がると下の磯で数人の釣り人がいた。自転車を進ませると、所々にゴルフ場の危険防止用のネットが破れてい たが、(危険ですよ早く直したほうがいいですよ。 く直したほうがいいですよ。)また、右には浦安のホテル郡やデズニ−ランドや葛西臨海公園の大観覧車(夕暮れになる いろんな色で綺麗です)道路に1600mと書れた所にツルデできたトンネルのアーチがある。正面に姉ヶ崎が 見えると表示がある。ゴルフ場のクラブハウスが見える辺りでサイクルロードと分かれ坂を上がりクラブハウスまえを通り 過ぎるとショートカットした1週です。 ここからは、ただ帰路です。来るときちょっと触れました東京へリポートに寄って見ました。門の前は素通りして次の路地 を曲がると、突き当たりに荒川の土手が見える。手前右にはヘリポートの滑走路が見え数十機のヘリコプターが待機した り、発着を繰り返していた。 ここには、警視庁航空隊、東京消防庁航空隊江東消防センター、川崎市消防局航空隊など、官庁関係や民間航空会社、 個人所有のヘリコプターや免許取得の訓練をする人や、様々な人々がいます。 私も飛行機やヘリコプター、船や電車、新幹線や高速道路などを行き交うのを見ていると1日中この年になっても飽きず に眺めているものです。これも、多分に、若い時の夢が果たせなかったためでしょう。 50歳を過ぎてからエアープレーンに興味を持って、家族に内緒でこっそりと利根川の河川敷の中で飛ばしているのを何 回も見学に行きましたが、何回か見ているうちに、あちらこちらで墜落のニュースを見聞きするうちに心変わりがして止め た経緯もあります。 ヘリポートの反対側には、帝都高速度交通営団新木場検車区があり、荒川沿いに京葉線まで続いています。営団車庫 横の道路を北上すると、まもなく左に、第3交通機動隊、第7方面本部、術科センター(凄く立派な瀟洒でデッカイ、思わず 所有者は誰かと思うような)建物です。 正面入口の看板を見て分かりましたが、何処の役所のハコモノは、タダタダ、ご立派 !!!・・・・・・・・・ 国道357号線を左折すると、まもなく右に新江東清掃工場が見え、その横に夢の島熱帯植物館を見過ごし西に行くと、まも なく、明治通りとなり、右折して夢の島公園の前をとおり、夢の島大橋の上から見ると、ヨットハーバーには、当然ヨットが数え 切れないほど係留されていた。また、橋のすぐ下には水上バスの発着場がある。 これからここへ、来るときに未確認だった、赤、白の煙突の確認をして見ます。まず、いっきに北上して日曹橋まで戻り、この 下を営団地下鉄東西線が走っています。この交差点を右折して行くと、左の南砂町3丁目公園の入口に南砂町駅があり、 150mも行くと東西線がユックリと地上に出てきます。その先の南砂7丁目交差点角の左奥には、 ≪富賀岡八幡宮≫ 南砂7丁目14番18号 寛永10年(1633年)八幡神像が寄付されたとき、一時、この神社に安置されたので元八幡といわれる。当時は、広重の 「名所江戸百景」に取材される江戸市民の観光地であった。 芭蕉の句碑を初め石灯籠、力石など境内に多く残っています。また、同社には文化10年(1813年)の作といわれる区内 最古の鳳輦神輿がある。 交差点を右折し、東西線のガード下を抜けると道路が2段になっているので、まず、低い方へ行きます。すると正面に、ま るで、思いがけないような、様々な植物が植えられ、よく整備された、初めは公園かと思いましたが、そこには「下水道局砂 町水処理センターと門に看板があった。 中に入って見たいと思いましたが、日曜日で扉がしまっていました。普段の日には、どうかは確認していません。そして上 の道路へは自転車を持ち上げて階段を上り、先へ行くと右側に泥だらけの看板が立っている。それによると、 ≪新砂地区区画整理事業≫ この事業は、新砂地域を新しい複合市街地とするため、道路、公園等の都市基盤整備を行い、併せて地域内の土地利用 の転換を促進するため、流通業務、商業、居住、福祉、医療等の、諸施設を配置し、周辺地域の拠点となるよう、土地利用 と都市機能の更新を図ることを目的とするもので す。この事業に要する費用は次の通りです。
事業費 | 仕訳 | ||
168億円 | 都費39.4億円 | 国費34.5億円 | 保留地処分金94.1億円 |
(上)事業費(下)区画整理事業 |
平成12年度施工の工事 | 整地工事及び交通広場整備 | |
工事件名 | 街路整備工事新砂12−1 | 12−2 |
工事期間 | 平成12−7−26〜平成13−3−6 | 平成12−7−10〜平成13−3−5 |
工事概要 | 街路築造1,100m、下水道管190m | 整地工事21,000u、交通広場整備3,000u |
請負社名 | 活鼬エ工務店(3630−1501) | 潟Cチフジ(3636−1200) |
泥まみれの看板には、このような説明書きがありましたが、まだ、いまだに、舗装工事の最中だった。右の奥には、鉄骨だ けが立ち上がったビルが見え、微かに高齢者専門病院建設中の幕が見える。道路はクランクに曲がる角奥には「東陽、大 島系ポンプ棟」「砂町系ポンプ棟」「発電機棟」が見え、左角には下水道局砂町水処理センターの出入口がある。 その先のT路地を右に行くと、民間会社が経営する東京湾マリーナが、左に行くと、目指す大きな煙突の真横に出た。下 水道局砂町水処理センターのこのだった。 ≪下水道局砂町水処理センター≫ 〜区民参加の野草教室〜 江東区の新砂3丁目の砂町水処理センターで区民60人参加の野草教室が開かれ、講師として、江東植物愛好会会長 の渡辺ヨシノさんら3人を御招きし、埋め立て地に育つアカツメグサ、ヒメジョオンなどの説明を受け、また、ヒメジョオンとハ ルジョオンの違いは、茎の中が空洞かどうかです。 植物の見分け方について、分かりやすくお話を聞きました。 ここの水処理センターは敷地が約83万uと広く、江東区 や墨田区などの下水を一括処理している。また、200種8万本の草木が確認されています。 〜施設の活用〜 また、下水道局では、下水道管の中に光ファイバーケーブルを敷設し、下水道施設間の通信や、遠方監視制御などに 利用しています。 そして、通信事業者やケーブルテレビ事業者にも下水道管内への光ファイバーケーブルの敷設を認めているほか、今 後は下水道施設管理用光ファイバーケーブルの一部も開放します。 高度情報化社会の実現に向けて、下水道管内の有効利用は大いに期待されています。 水は、人々の生命や都市活動を支える重要かつ基本的な資源です。下水道は汚水の適正な処理や雨水の排除に よる生活環境の改善、河川や東京湾などの水質保全により、健康で文化的な都市生活を支えていくとともに、環境に与 える負荷を軽減し、再生水の利用、下水の熱利用、汚泥の資源化などのリサイクルを進め、環境と調和した社会をめ ざしています。都市では毎日、たくさんの水を使っています。水源は遠くから求めなければならず、その量は十分とはい えません。 そこで毎日、処理されて河川や海に放流されている下水処理水は、都市の中の貴重な水資源として見直されはじめ ています。処理した水は、節水型都市づくりや都市に水と緑のある空間をよみがえらせることができます。 今、下水は都市の資源として、リサイクルされています。下水を処理する過程で発生する汚れのかたまりを下水汚泥 といいます。 この汚泥は、焼却し、埋立処分してきましたが、処分場が限られていることから、都市で発生する資源としての利用を 進めています。 下水汚泥の焼却灰をコンクリート原料の砂の代わりに使える技術を開発しており、今後は下水道局で使うコンクリー ト製品すべてに活用し、汚泥の100%資源化を目指します。 東京都は節水型都市づくりをめざして、節水意識の高揚や節水機器の開発・促進を施策として進める一方、一定規 模以上の建築物には雑用水の循環利用を指導しています。 下水処理水は豊富で水質も安定していることから雑用水としてその有効利用が期待されています。下水道局では、 下水処理水(再生水)の循環利用を広域的に行う事業を進めています。 災害は突然襲ってきます。もしものときに備えて、再生水は防災用水にも利用され、都市の安全に役立っています。 下水道管は、地下に埋設されているため、台風や火災などの影響が少なく、都市景観に影響を与えるこもありま せん。 道路を奥へ行くと、すぐドン詰りとなり、右が江東区新砂運動場です。 下のような表示板がある。 ≪江東区新砂運動場≫ 開園日S.62.11.22 広さ44,000u 『利用方法』 『4/1〜/15****AM8:00〜PM6:00』 『9/16〜3/31**AM8:00〜PM4:00』 『休 場』 『12/28〜1/4』 『申 し込み』 『江東区教育委員会社会体育課(3647−8111)』 『問い合せ』 『江東区スポーツ会館(3649−1071〜5)』 『駐 車 場』 『普通自動車45台、バス5台、自転車50台』 中に入って見ると、まず、駐車場があり、すぐ坂になり、登ると見晴らし のいい所です。 そもそも、ここは排水タンク(汚水の方が正しいかも)の上に作られた、 2階建ての運動場なのです。約7、80mも行くと突き当たりが運動場 です。 正面に案内板がある。それによると次の通りです。
ターゲット・バードゴルフ | 電気室 | ターゲット・バードゴルフ |
第2運動場 サッカー1面 又はソフトボール2面 90m×82.5m |
トイレ/ ーーーー 休養広場 (4,261u) |
第1運動場 サッカー1面 又はソフトボール2面 90m×82.5m |
多目的運動場 81.7m×39.7m |
管理棟 | 第1練習場 テニス4面 |
以上のような配置になってます。
〜ターゲット・バードゴルフ〜
合成樹脂制の羽根付きボールを、普通のゴルフクラブで打つミニゴルフの一種です。ボールを打つ動作・フェアウェイ上のルール等はゴルフと同じですが、ホールはパラソルを逆さにした形状をしており、シャトルボールをふわりと高く打ち上げる技術が要求されます。
またコースは、ゴルフ場をミニ化したような常設コースから、公園の空地などにロープを張って作る仮設コースまでと、幅広く楽しむことができます。
・プレイヤーはストロークを行う前に、まわりに人がいないことを確認する。
・他の人のプレー中には、動いたり話したりしない。
・プレイヤーは、前方の者がボールの届く範囲外に進むまで、プレイしてはいけない。
・プレイヤーはホールアウト後、速やかにそのホールから離れなければいけない。
・スタートする前には、同伴プレイーヤーと各自のボールを色によって確認しておく。
砂町運動場を出て、そのまま、南砂7丁目交差点まで戻り右折して、東西線に沿って荒川土手まで行き、土手のうえに上がると、東西線の下流約20mぐらいに新しい橋の工事が、橋の中央部分の橋桁だけを残すだけになっていた。江東区側の取り付け道路は、橋の完成する頃には出来るのでしょう。
江戸川区側は、片側3車線が完成しています。河川敷の中には、荒川・砂町水辺公園がある。
≪荒川・砂町水辺公園≫東砂3丁目新砂〜3丁目まで、約3km
砂町はかっては砂村新田と呼ばれ、江戸時代には野菜の一大産地として江戸市中に野菜を供給していたとのこと。
明治以降も大正から戦前、戦後しばらくまで、都市近郊における貴重な野菜生産地として名をはせました。この砂町の荒川べり一帯にヨシ原や水路、タメ池などの農村集落風景を再現し、自然を回復させようと同区と区民がプランを練り、1999年度に同公園の工事が行われました。
ジョギングする人と、水辺の花を鑑賞する人、休日にはバーベキューをして楽しむ人たちのすがたもみられます。
客を乗せて東京湾へ向う屋形船や釣り舟も岸辺につけられていて、このあたり一帯はドラマの撮影場所として
もよく利用されます。
〜昆虫類の食草園〜
昆虫が好んで食べる草花を植えたり、荒川では珍しくなった希少植物の育成区、亀戸大根などを育てる江戸野菜栽培区などが整備され、昆虫を求めて野鳥も飛来、のどかな川辺の風景に心がやすらぐおもいです。
歩くのに疲れたら、「憩いの広場」でひと休み。木箱のいすに腰掛けてあぜ道や水路にやってくるトンボやチョウチョウ、地面のコガネムシなどを観察して下さい。
同公園は、夏の風物詩となっている江東花火大会の打ち上げ会場にもなっています。
≪江東花火大会≫
江東区東砂8丁目先の荒川・砂町水辺公園(葛西橋と東西線鉄橋の間)を舞台に夏の風物詩として区民に親し
まれている「江東花火大会」が今年も8月1日開催(20回目)される。
同大会は、1982年、当時の砂町連合町会長、安藤善次郎さん(故人)の呼びかけで始まった。以来、同連合
町会に加盟する町会・自治会(現49団体)で実行委員会を組織し、今日まで受け継いでいる。一定規模以上の
花火大会は、地方公共団体や大企業が実質的な主催者を務めるケースが多いが、同大会は第1回から、地域
住民が中心になって運営している。
毎回、運営経費は、主に実行委員らが地元住民や商店、企業などを回って募った寄付金で賄っている。
また、大会当日には、実行委員会から300人が出て会場の安全を確保、大会翌日には100人が会場のごみ
拾いに汗を流している。
なさに縁の下の力持ちだが、こうした苦労も「会場で楽しそうに花火を見上げるお客さんの姿を見ると吹き飛び
ますね」と実行委員会の武田茂治会長(73、東砂5丁目)は、話ている。
5月8日には、砂町主張所(北砂4丁目)実行委員会と打ち上げ担当の鍵屋(江戸川区東小松川2丁目)との話し合いがおこなわれた。「迫力」「躍動」「雄大」という3つのテーマで荒川の上に浮かぶ台船から3,300発の花火を打ち上げるというプランが提案された。
当日は、PM7:30〜PM8:30、荒天の場合は翌2日に、2日も同様の場合は3日に順延、以降は中止。
車での来場は不可。
荒川土手を後にして、南砂町駅前まで戻り、左に見える建設中の鉄骨ビルの資材搬入口の表示看板には、三井記念病院・特別養護老人ホーム(鹿島、大成、前田、飛島、トピー、建設共同企業体)だった。
南砂町駅に横の道路は拡張して、舗装の真っ直中だったので公園の中を抜けて、丸八通りに出た。
葛西橋通りを横切り砂町橋を渡り清洲橋通りも通過すると砂町銀座商店街通りの東詰です。ここまで約1km
です。約1kmで小名木川です。この運河は東は、中川から、西は隅田川まで。
≪小名木川と中川船番所跡≫大島9丁目1番 番所橋付近
徳川家康が行徳の塩を運ぶために掘らせた川であったが、のちには生活必需品をはじめ、様々な物資の輸送に利用され、船番所が置かれる重要な水路となった。芭蕉は、しばしば小名木川に船を浮かべ
「秋に添て 行かばや末は 小松川」などの句を残している。
≪塩ナメ地蔵(宝搭寺)≫大島8丁目38番32号
江戸時代、小名木川を通る商人が航行安全、商売繁盛を願う人で賑わった。別名いぼ取り地蔵とも呼ばれる。
小名木川に架る丸八橋を渡り、新大橋通りを横切り、公団の大島団地左右にあり、首都高速7号線の下の六の橋を渡り京葉道路です。ここまで砂町銀座商店街通りから約2kmです。
京葉道路を横切り、総武線のガード下を抜けると、右側に亀戸中央公園がある。元は、日立製作所の亀戸工場の跡で、総武線や道路を挟んで大小3つある。ここへは、東武鉄道の亀戸水神駅が一番便利です。次が都バス亀戸7丁目、その次が総武線亀戸駅です。
≪亀戸中央公園≫亀戸8・9丁目 開園日昭和55年6月1日
面 積 | 103,030.77m2 |
施 設 | 多目的球技広場、テニスコート、アスレチック風木製遊具、 |
樹 木 数 | 高木:2,950本、低木:12,002株、芝生20,790m2 |
主な植物 | サンゴジュ、モクセイ、イスノキ、サザンカ、クロマツ、サツキ、ソメイヨシノ |
A 地区では、中央広場に時計塔やアスレチック風の木製遊具が設置され、子供たちの格好 の遊び場になっています。
B 地区には、人工池、流れがあり周囲は芝生の憩いの広場となっています。
一方通行の細い道路を挟んだ北側は、広い芝生やジャブジャブ池があって、母子連れが多 く、幼児達が奇声をあげながらはしゃいでいた。その奥は旧中川の土手に沿って西側江東 新橋までの約500mが遊歩道になっている。飛び石の小島が3つあって、野鳥がやって来 ていた。石伝いに小島へも歩けるようになっていて面白い。
C 地区は、運動広場として整備され、多目的球技広場、テニスコートのほか児童コーナーが
あり、ターザンロープほか5種類の木製遊具は子供たちの人気を集めています。
学校が休みになると少年野球の子どもたちが多勢集まってくる。この公園には、亀戸スポ ーツセンターも隣接されている。
≪亀戸スポーツセンター≫江東区亀戸8-22-1 TEL: 5609-9571
最寄駅、東武亀戸線]亀戸水神駅、JR亀戸駅、都バス亀戸7丁目亀戸7丁目の交差点から、丸八通りを亀戸水神駅方向へ。総武線のガードをくぐると右側に見えてくる亀戸中央公園の中にある。
「利用時間」 「午前9時〜午後9時」
「休 館 日」
「第2・4月曜日 年末年始(12月28日〜1月4日)
「施 設」 「大体育室:バレーボール(2面)、バスケットボール(1面)、バトミントン(6面)
卓球(20台)、軽スポーツなど小体育室:卓球(6台)、エアロビクス・
ジャズダンスなどトレーニング室、プール、会議室」
このスポーツセンターの前の一方通行の道を京葉道路の方へ行くと左に、
≪浅間神社≫亀戸9丁目15番7号
大永7年(1527年)の創立と伝えられる。江戸時代には富士信仰が盛んで、社殿には岩石で堅く積み上げられた富士山の頂きに建ち、境内には碑や石刻物が多く作られた。
なかでも「たのみの辞碑」は、この地の由来を記したものとして有名。また、伝統の神事「茅の輪くぐり」では、日本一のジャンボ茅の輪が出され名物となっている。
丸八通りに戻り、蔵前通りの下をくぐり北十間川の小原橋を渡ると、墨田区です。信号4つ目が東武鉄道の東あづま駅が左に見え、信号4つで明治通りと合流します。ここからは、明治通りを中居掘り交差点を行くと左に、警視庁向島警察署、そのまま行くと左にキラキラ橘銀座通りという、ちょっと今時元気な商店街があります。
チョクチョク、テレビ局やラジオ局が来て、商店街を紹介して放送を見聞きします。京島の交差点を右折して八広中央通り行くと我が家。お疲れ様。
(資料等は、江東区、清掃工場より)