東京みなと祭(第55回)
5月25日(土)〜5月26日(日)
主催:東京みなと祭協議会・・・協賛:東京都福利厚生事業団




 
本来なら五月晴れの快晴が続く時ですが、130年に一度と言われる異常気象で、はや梅雨入りを思わせる昨今ですが、昨日も今日も朝からよく晴れて、みなと祭には、又とない、絶好の好コンデションだった。 今朝(26日)7時のNHKニュース番組の中で、帆船「海王丸」が公開されているということを聞き行く気になった 。
 朝食を9時に終え、デジタルカメラの電池の充電がOKになると、10時20分に時間待ちに見ていた、4チャンネル「波乱万丈」(武田鉄矢)番組も早々にママチャリに乗って出発した。
 道路は、いつもの日曜日と同じでスイスイと押上から四ツ目通りへ、すぐ業平3丁目で右折して、業平小学校の運動会を横目で見ながら、「日本たばこ」の裏を通って、平川橋下の大横川を暗渠にして造った親水公園に出た。
 その昔、江戸城から見て、隅田川と並行して流れるから横川ともいわれていたが、今は大横川となっている。1659年(万治2年)本所奉行の徳山五兵衛重政、山崎四郎左衛門重政により本所深川の埋め立てを行った時に開削された。
 大横川親水公園は5つのゾーン(つり川原、かっぱ川原、花もみじ、パレットプラザ、ブルーテラス)に分けられ、花見時や夏・秋の祭には大変な人出で賑わっている。近隣住民の積極的な協力があれば、この親水公園の存在が大きくクローズアップされるかもしれない。これからは、行政サービスも従来ほどの期待は出来ない。沿岸の町会なり、区域の小・中学校などが協力し合って地域・町を住みよいものにしなければならないだろう。
 散歩道や魚釣りの釣堀として開放されているので太公望がずらりと並んで所狭しと釣り糸を垂れていた橋を渡り、初めての信号を左折して、右側に錦糸中学校を見やり、いつもなら人影もまばらな通りにもかかわらず、今日は、あちらこちらで、軍手とゴミ袋を持った大人から子供まで交じった一群が、せっせと歩道から植込みの中までタバコの吸殻やジュースやウーロン茶、ビールの空き缶を拾い集めている姿を眺めながら、ひょっとすると、わが町でも行っているのかなと思いながらも先へ進んだ。
 東駒形、本所(春日通り)、石原(蔵前橋通り)、亀沢(北斎通り)、緑(JR総武線、京葉通り)、立川、菊川(新大橋通り)と横断した。ここで、ふと気が付いた事がある。菊川以外は凡て4丁目だった、この地域は戦前から区画整理が進んでいて、道路がすべて碁盤の目になっていて隅田川の方から1丁目、2、3、4丁目と東西に綺麗に並んでいて、とっても解り易い。
 竪川を過ぎると、左側を流れる大横川は再び本物の川となり、水は満々と岸辺を濡らしている。左岸は墨田区江東橋5丁目、右岸は同区緑4丁目となり、南辻橋の袂には菊川小学校があり、菊柳橋と続いて新大橋通りの菊川橋に至る。ここを過ぎると、左岸は江東区住吉1丁目、右岸は墨田区菊川3丁目となる。次の猿江橋を過ぎると両岸とも江東区となり、森下から小名木川に架る新高橋を渡り、白河、三好(清洲橋通りを渡ると都立近代美術館)、平野(木場公園北側)で、仙台堀川に架る崎川橋を渡り、葛西橋通りに右折して道路で南北に分かれている木場公園を結んでいる橋の下を通り木場4丁目の交差点で、三つ目通りに左折した。公園角の人工池では子供たちが大人の指導のもとで角乗りの練習をしていた。
 右側には、深川警察署、深川消防署が並んであり、そして、首都高速9号深川線の木場インターがあり、木場5丁目で永代通りを渡り、大島川の平木橋を渡り、高速道路の下を走り汐浜運河に架る汐浜橋を渡り、塩浜2丁目の交差点を右折して汐浜運河と塩見運河をつなぐ運河に架る浜崎橋を渡り、塩浜1丁目を右折して、左に農林水産省東京深川食糧倉庫事務所前を通り、汐浜運河に架る浜園橋を渡り、都立三商前をクランクに走り、越中島から豊洲運河に架る豊洲橋を渡ると左が豊洲3丁目右が豊洲1丁目だ。以前ここには近代的な小野田セメントのビルが建ち、今は日本ユニシスという会社名になっていた。3丁目側は石川島播磨重工の古びた工場が建ち並んでいて対照的だった。春海橋を渡ると晴海だ。道路の左右には都営だか公団だかのアパートが建っている。歩道には晴海通りまで街路樹としては珍しい「くすのき」が植えてあった。
 この辺りまで来ると、長年見なれてた国際見本市で使われた建物が、すっかり姿を消して倉庫やら駐車場となっていた。
 晴海埠頭の方に進むと、いつもなら埠頭の突先まで自由に進めるのだが、駐車場附近で、右折誘導されていた。自転車も右側の駐輪場へとの指示があり、それに従って止め、会場に徒歩で行った。
 「海王丸」は午後1時からかけ声に合わせて、乗組員の手作業ですべての帆を張った勇姿が見られるということだったが、また、乗船見学も長蛇の行列だったが、午前中の受付は終了していた。
「海王丸」の停まっている桟橋には鉄柵が巡らしてあり、見物客は寄りかかったり上に跨ったり、思い思いに楽しんでいるようだった。船の舳先に周り、写真を2,3枚撮り、真横からも撮り、そして後ろの大きな日章旗がはためく写真を撮り、これ以上は船に近付けないので、諦めて、思いきって場所を変え様と桟橋を離れて、東洋埠頭(会社)の敷地に入り、波打つ岸壁に出た。
 ここからは、東京消防庁の水の消防ページェントがご前10時30分〜11時30分まで行われていた。1回目のショーは見られなかったが、2回目は、ここに着くと同時に始まった。水墳は高く、まるで正月の出初式の時のように豪快に水煙が上がり後ろのレインボーブリッジが見えなくなるほどだった。そしてみなさんお目当ての5色の半円形が何層にもなって見えるファンタジックなショーにタダタダ見惚れていた。
 東京みなと祭は、晴海会場、お台場海浜公園、若洲、青海と4会場に分かれて行われていたが、晴海会場のイベントを見てまわった。
 昭和16年5月20日、東京港が外国貿易港として開かれたのを記念して行われるお祭りです。毎年、船の一般公開や帆船パレードなどが行われます。
 
1・ポートバザール(晴海客船ターミナル及びその周辺)
 東京港から水揚げされる国内外の産物や、関連する地元企業協賛による物品、飲食物、雑貨等を販売します。
 東京港は客船の発着基地としてすぐれた立地条件を有しているため、内外航を含めた客船入港実績日本一を誇っています。
 
 
そのため、晴海埠頭において、首都東京の海の玄関にふさわしい本格的客船埠頭づくりを推進しています。
 平成3年5月にオープンした「晴海客船ターミナル」では、数々の豪華客船を迎えて、港のにぎわいとふれあいの場となっています。今後、既存の客船2バースに加え、大型外航客船のために1バースを新たに整備する計画です。 
 また、客船バースの背後には都民や来航客が楽しく集い、憩うことのできる場として、「国際交流拠点」を計画しています。
2・見て!!ふれて!!東京港(客船ターミナル2階)
 昭和63年に着工し、平成3年に完成しました
晴海埠頭客船ターミナル内2階に、東京港関連企業・団体によるPRコーナーを設置。関連商品の販売などもあります。
3・スタンプラリー(晴海客船ターミナル周辺)
 会場内に設置されたチェックポイントを探して、スタンプを全部押すと、はずれ無しの抽選会に  参加できます。
4・フリーマーケット(晴海客船ターミナル及びその周辺)
 会場全域で、ガレージセールやエコロジー商品の販売を行います。
・ポートステージ(晴海客船ターミナル臨時広場)
 潮風が心地よく野外特設ステージにおいて、演奏会などの催しが行われます。
6・海王丸の一般公開(晴海埠頭)
 海王丸の東京港寄港を祝う歓迎セレモニーと、船内の様子などを実際に乗船して見る事が出来ます。
7・海王丸の総帆展帆(晴海埠頭)
 帆を張った「海王丸」をご覧頂きます。帆は、掛け声に合わせて、乗組員の手作業によりゆっくりと張られていきます。
8・珍しい船の一般公開(晴海埠頭・官庁船バース)
 東京都所有の作業船で、航路の深さを維持するために海底を掘る浚渫(しゅんせつ)船「雲取」 や、海上保安庁所有の測量船などに、実際に乗船して船内をご覧いただけます。
9・ふれあい動物ランド(元晴海見本市会場駐車場)
 小動物の展示と販売を行います。
10・ふわふわ遊びの広場(元晴海見本市会場駐車場)
 ハローキティのふわふわや、ストライク・ボード等、子供も大人も楽しめる遊びの広場を設けま  す。有料。
11・水の消防ページェント(晴海埠頭)
 消防艇やヘリコプターなどによる会場事故時の消火・救難実演と、カラーガ-ズ隊のパレード、 演奏など。締めくくりの参加艇による5色放水は迫力満点!!
12・アラブの子供たちの絵画展(晴海客船ターミナル)
 アラブ諸国の子供たちが描いた絵を、晴海埠頭客船ターミナルに展示します。
13・東京港写真撮影会(晴海客船ターミナル)
 東京みなと祭の賑わい風景や船などの撮影会を行います。また、前年に表彰された優秀作品 が展示されますので美しい写真をご覧下さい。
14・東京みなと館クルーズ(東京港内・東京みなと館)
 当日先着で、東京みなと館への往復クルーズに乗船できます!!申し込みは両日とも10時から 晴海客船ターミナル1階インホメーションで受付を開始します。期間中は「東京みなと館」無料。
などと、盛り沢山のもようしもので、朝から多勢の人出だった。私も野次馬根性でひと通り会場を回ってみたが、老若男女、家族連れ、若いカップル、年寄り夫婦で、どの会場もいっぱいだった。
 海王丸、拓洋、雲取などには、昨日、今日の2日間誰でも無料で乗船見学が出来るという事で行列をして待っているいう盛況だった。特に、浚渫船「雲取」はなかなか、お目にかかれる船ではないが、あちらこちらで、毎日泥まみれになって活躍しているようで、かなり汚れていた。
 中には、1人コンクリートのタタキの上に上半身裸で、寝そべって甲羅干しして真黒に日焼けに励んでいる若者もいた。
 船や風景の写真も数多く展示されていて、普段見られないような光景や港のさまざまな様子が窺(うかが)い知れる貴重な写真や私も昨年、冬の寒い夕暮れに東京のお台場で実際に、この目で渡り鳥の態(さま)を見るまでは、こういう、昔は何処でも見られた生態も、今では東京の人は東京では渡り鳥の雁がねなど、ほとんどの人は見れると思ってもいないでしょうが、いみじくも今日写真によって再確認させて貰いました。

晴海埠頭

 月島四号地として埋め立てが完了したのは昭和4年。第二次世界大戦中は軍需物資の輸送基地として仮倉庫となり、戦後は米軍に接収されていましたが徐々に解除され、現在は埠頭として利用されています。海の見える晴海埠頭公園は区民の憩いの場として親しまれています。
 晴海埠頭は国際都市東京の海の玄関口。客船ターミナルがシンボルの港の公園。噴水、木々が茂る緑の小道が続くエリアと、世界の港からやって来た豪華客船、貨物船のすぐ脇をそぞろ歩きできるポートサイドのプロムナードがあり、自然との親しみと、エトランゼ気分を一度に楽しめます。レインボーブリッジや、都心を一望できる小さな展望台もあります。
 お台場ができる前は、東京の夜景と言えばここできまりでした。今では人気は完全に海の向こうのお台場に持って行かれましたが、そのレインボーブリッジもとても綺麗。
 ここには東京都の船客待合所があり(ビッグな現代的な建物です)、ここはかなり上まで深夜でも上れます。レストランもありましたが今では営業休止しています。でもホットドックの移動販売車がいつも止まっています。
 ここの眺めは、レインボ−ブリッジ・お台場・竹芝桟橋から出航する船・東京タワ−などなど、極めつけは飛鳥丸等の豪華大型客船が寄港しますので、雰囲気満点です。
 大都市の産業活動や住民の生活に必要な物資の流通を担う都市型商業港湾です。 取扱貨物は雑貨製品類や食料品、紙類、建設資材など、都市の活動に直結する品目の比率が高いことが特徴です。
港勢圏は、人口3,300万人を擁する東京圏や北関東、甲信越、南東北など広大な地域に及んでいます。東京港は、それらの地域で生産され、消費される貨物を国内・海外各地へ円滑に一貫輸送するための海陸の結節点として広域的輸送ターミナルの役割を果たしています。
 昭和40年代の輸送革新にいち早く対応し、コンテナ埠頭、フェリー埠頭、物資別専門埠頭などを機能的に整備して、港湾の利便性を高めたことで大きく発展した港です。
  各埠頭背後の埋立地には、埠頭機能を補完する倉庫や物流センターが立地し、また、物流の円滑化のため、幹線道路などの交通網も整備されています。
 

位置・面積・平成12年(2000年)実績
荒川河口から多摩川河口に至る範囲 入港船舶数 34,250隻 岸壁・桟橋 23,783m 181船席
北緯 35度31分〜41分 取扱貨物量 8,456万トン (内コンテナ 4,278m   14船席)
東経 139度44分〜51分 貿 易 額 8兆9,312億円 浮標 3基 2船席
港湾区域面積(水域)5,453ha 防波堤延長       7,070m ドルフィン 49基 25船席
臨港地区面積(陸域)1,080ha 係留施設 物揚場 3,661m  
貯木場・1,275,711m2、6か所 野積場・655,907m2、77か所 上屋 235,027m2 45棟
ヘリポート・147,153m・38スポット   コンテナクレーン 29基  

 
 東京大学の練習船はほぼいつも停泊しているようです。ここにも小さな公園があってここからの眺めも抜群です。
 晴海埠頭沖から尺玉や大がかりな仕掛け花火が、ダイナミックに打ち上げられます。開催を重ねるごとに人出も増え、都内を代表する大会になりました。
ベイエリアの美しい夜景と華麗な花火が奏でる「光のハーモニー」は、訪れる人すべてが魅了されるような美しさです。


海王丸(2代目・進水年月日:平成1年3月7日)

 航海訓練所所属の海王丸です。4本マストで2556トン、長さが110メートルということです
 この船は全国の商船大学や商船高等学校、海員学校の学生の皆さんが、海技免許を取るために乗船実習を行う船です。(車で言う教習所の路上教習みたいなもんですね)このような船のことを練習船というのですが、日本にはたくさんの練習船があります。海王丸は航海訓練所というところに所属している船です。(オーナーは、練習船教育後援会)航海訓練所には、6隻の練習船があって、そのうち帆船は日本丸と海王丸です。こういった練習船は前述のとおり実習を行うのが主な目的ですので、普通一般人は(一般公開などを別として)乗船できません。しかし、海王丸は「国費および(財)日本船舶振興会の建造補助金のほか、広く国民各層から建造資金のご寄付を仰ぎ(練習船教育後援会パンフレットより)」造られましたので、実習生の教育のほか海に興味を持つ若者を増やしたり、船舶職員の仕事を紹介したりするいわゆる広報活動的な役割も担うことになりました。そのため、私たち一般人も実習生と一緒に海王丸に乗船できるようになったのです。
 規定時間で多くの距離を走った帆船に与えられる(要するに一番速い帆船に与えられる)ボストン・ティーカップ・トロフィーを4回も受賞し、更に世界記録も持っているという、とってもかっこいい船でもあります。
    

海王丸主要目表
帆装形式 4檣バーク(横帆18枚、縦帆18枚) 船型 全通船楼甲板船
総トン数 2,556トン 航続距離 9,800海里
主機関及び出力 ディーゼル1,500馬力×2基 垂直間長 86.0m
機走時航海速力 13ノット 型深(船楼甲板) 10.7m
全長 110.0m(バウスプリットまで含む) 型幅 13.8m
最大搭載人員 199名(実習生など定員130名)    

 (初代)海王丸は同型船の日本丸と共に公立の商船学校の練習生を育成する目的で建造された練習帆船で、1930年に竣工しました。
 第二次大戦中は帆装を撤去して練習船兼輸送船として、また戦後は海外からの引き揚げ業務にも従事しましたが、1950年に帆装を復帰し、以降日本の船員養成に働きました。現在は富山県の新湊港で永久保存されています。
 

 晴海埠頭は、その昔と言っても昭和50年代までは、国際見本市、商品見本市、自動車ショーなどが、行われその度に臨時で無料のバスが東京駅や最寄りの駅から出ていた。私などはよく少ない駐車場を求めて朝早くから出掛けた者です。ある時はJRの錦糸町駅からも無料のバスが出ていたので、何度か利用した事があります。
 この広大な土地も埠頭関係と駐車場と海の見える晴海埠頭公園になっていてポートサイドのプロムナードがあり、行き着く北西の角には日ので桟橋との臨時の水上バスが行き来して満員の客が利用していた。
 わがママチャリは、一番北側の道路を晴海通りへ向って走り出した。この辺りはヤード業者の物置に利用されているらしく、目に見えるものは鉄くずになった自動車や電気製品がうずたかく積み上げられていた。
 ここから晴海通りは横断出来ず、諦めて黎明橋を渡り、勝どき2丁目の交差点を右折して、月島橋を渡り、清澄通りを北に進み有楽町線の月島駅前交差点を左折して、月島機械の外装塗装をしているビルの前から半身だけ見える胸像見ながら右折して、古い工場の入口に32階建のビルにする、告知看板があり、右折して進むと大川端・リバーシティ21のビル群が並んだ佃2丁目に出たが、ここでもやはり32階建の建設工事が盛んに始まっていた。
 右折すると、すぐ相生橋の袂に出たので、相生橋を渡り、ふと右側を見ると商船大学の帆船が見え、海王丸がやたらと大きく感じた。橋の坂道をすごい勢いで下ると牡丹町1丁目の交差点を右折して、そのまま3丁目まで進み、大島川に架る東富橋を渡り永代橋通りに出て、右折し木場5丁目で左折して、来るときチラッと見ただけの公園の中に入ってみた。中は入るほど広々していて、「赤芽」の垣根の中には名前の知らない花が、タダタダ「綺麗だな〜〜〜〜〜〜〜」と感心すると共に多勢のボランティアーの人達か或いは関係者が日曜日にも係わらず手入れをしているから何時でも季節の草花が絶えず咲き乱れているのは縁の下の力持ち的な人々に支えられているようです。
 園内は芝生が敷き詰めてあり、所々に大きな木が立っていてその下でビニールマットを敷いて家族連れや仲間で車座になって楽しむ姿が何とも微笑ましい。また、芝生の上では小さな子供を相手にサッカーボールを蹴って遊んだり、バトミントン、周りをやたらと走りまわる子や犬と散歩をしている子と公園は様々に利用されている。


木場公園

 元禄時代の初期(1690年代)に、日本橋から移された「木場」。その跡地に1992年に開園した都立木場公園(約22万u)は、また、大横川沿岸最大の見所だろう。もちろん、この広大な敷地は防災拠点にも指定され、また、1977年(昭和52年)には開園前に昭和天皇在位50年記念という称号までついている。
 何しろ狭い下町一帯では、「広大な」という表現がぴったりである。仙台堀川を跨いだ全長250メートルの斜長橋・木場公園大橋(主塔60メートル)があり、仙台堀川の南北には、木場ミドリアム、テニスコート、有名な角乗りが出きる池やイベント広場が点在し、公園敷地の北側には東京都現代美術館がその威容を誇っている。しかし全体としては、上流の親水公園と同様に開園して数年という歴史のため、生活の匂いがしない。それだけ訪れる人が少なかったということだろう。現地に踏み入って思ったことだが、大横川の右岸に延びた仙台堀川を挟んだ公園ならば、水辺からのアクセスをどうして考えなかったのだろうか。?
 現代美術館が素晴らしい施設だけにとても悔やまれる。機会があったら、ぜひ水上からのアクセスを実現し、水辺ラインでドンドン見物客を運んで欲しい。
 いまひとつは、下流の東富橋から巴橋、黒船橋辺りまでの右岸一帯を整備して欲しい。深川不動尊や富岡八幡宮などの門前町として、木場が栄えた頃から300余年にわたって辰巳芸者で鳴らした花街もすっかり寂れてしまった。下町で少し元気があるのは向島くらいだろうか。?
 芸者というと眉をひそめる人もいるようだが、下町といえば江戸文化の中心地である。博物館や資料館は立派なものが出来ているが、中身は皆死んでいるものばかり。
 江戸の俗謡、俗曲を謡い、踊りで生きた江戸文化の伝統美を受け継いでくれているのは花街の芸者衆くらいだろう。
 木場の角乗りや江戸消防保存会、祭だけでは色気がなさ過ぎる。風情、風流を愛する下町の人がもっと増えてもいいのではないだろうか。?自分だけこっそり小金を溜め込むだけでは、本当の下町の風情などは戻ってこないだろう。
 生粋の江戸っ子が少なくなって寂しい限りだが、本物の下町にしたいなら、役所などに頼らず方法は幾らでもあるはずだが。?とはいってもここまで来てしまうと簡単には「ことは」運ばない位の事も重々承知もしているのだが。さて、さてと思いながら朝来た道を熱さと空腹でボーとしてペタルを踏んでいるうちに我が家にたどり着いて昼飯を食べ、忘れないうちにとパソコンに向ってキーを叩いていると、今朝の天気予報宜しく、にわかに曇り始めたかと思いきや、大粒な雨粒が落ち始めると一気に土砂降りになり、挙句の果ては雷まで鳴り出し、「みなと祭」もフライング気味に帰って来たのが、正解だったようだ。