20世紀梨のふるさと

 

 久しぶりのサイクリングです(平成13年4月15日)快晴、関東一円のソメイヨシノは葉桜になってしまいました。空気も50%ぐらいに乾燥していて、我が家を出ると大変爽やかで八広中央通りを北上して、はなみずき通りを横切って坂を登ると、荒川放水路の土手の道路を左折して工事中(一部京成電鉄ガード下を掘り下げている)の横を通り過ぎると、左に新しく出来た八広駅に、もう1本の追い抜き専用車線の工事が真っ盛りです。

 土手の中も橋脚の取り壊しでクレーンや鉄板が敷き詰められています。鉄橋の嵩上げが終わり、今度は土手の嵩上げが盛んに行われて居ます。


新坂川で見た花                   京成電鉄の新荒川鉄橋


  
 スカイライナー                             新車両 

新四つ木橋の下を潜り100mも行くとまもなく四つ木橋です。

 この橋は古くは、先の太平洋戦争の前から計画され戦争で一時中断されていましたが戦後再開されましたが、橋脚工事中に事故が起き、出稼ぎの労働者が多数犠牲になりました。そして昭和27年7月30日に4億4千万円の費用で完成しました。

 右折して橋を渡る手前四つ木側で盛んに土手の嵩上げ工事が行われている先に首都高速中央環状線が上にあり、新四つ木橋と合流し、まもなく本田広小路で交差する道路は平和橋通りで右は新小岩、左は堀切、国道6号線(水戸街道)は陸橋となり、次の信号を右に行くと300mぐらいで葛飾区役所が左に在る。

 その次の信号を右に、200m右には日赤産院が在る。我が、孫3人のうち2人はここで生まれている。

 200mも真直ぐ行くと京成電鉄のガードになり、そしてドンドン行くと環状7号線になり、右は葛西から高速湾岸線へ、左は亀有、加平より日光街道へ、直に1級河川、中川があり、橋を渡ると金町から亀戸、小名木川の先まで行く貨物線の踏みきりを行くと左に亀有警察署、暫くするとやはり左に金町消防署、金町2丁目から国道6号線は片側2車線で江戸川を新葛飾橋まで高架になっています。

 ここから歩道はカラーで京成電鉄(金町線)の先、金町まで、ここから6号線と別れて旧道を行くと左に稲荷神社がありそして右に大きくカーブするとまもなく左に都立水元公園の標識がありずっと進むと外環道路を横切って三郷へ行ける、旧道を進むと東京外環道路は金町から三郷までは、まだ未完成で一般道だけが使われています。


参考資料として

東京外かく環状道路(千葉県区間)について

建設省関東地方建設局首都国道工事事務所長 川路 正行氏

 建設省首都国道工事事務所は、主に首都圏の南東部における直轄の大規模改築事業を担当している。
 したがって、年とともに担当事業は移り変わり、古くは一般国道6号の千葉県内から茨城県南部にかけての改築をはじめ、4号の千柱新橋、6号新四つ木橋、金町立体、14号小松川橋、357号荒川河口橋の架橋などを手がけてきた。
 現在は、東京外かく環状道路(外かん)、東京湾岸道路、一般国道6号の藤代バイパスなどの事業を受け持っている。
 この中で、当事務所の中心的な事業である外かんの千葉県区間(東京都葛飾区区間も含む)の概要を紹介する。

外かんの役割

 人口や産業などの急激かつ高密な集積は、交通渋滞や環境悪化などの弊害をもたらし健全な都市の育成を妨げることになる。
 
 このような懸念から、首都圏の道路交通基盤の骨格を成す自動車専用道路ネットワーク構想である「3環状9放射」のネットワークシステムが、昭和42年の第五次道路整備五箇年計画において位置づけられた。
 
 外かんは、3環状9放射ネットワークの一部を構成する道路であり、3環状の中間のリングにあたり、神奈川、東京、埼玉、千葉の1都3県の都心から約15qの圈域を通過する延長約85qの道路である。
 
 外かんは、都心に集まる多くの高速道路や一般国道等を相互に接続して、都心に集中する交通を適切に分散導入するとともに、都心に起終点を持たない交通をバイパスさせる役割を果たし、これにより、首都圏の交通混雑の緩和や都市間の円滑な交通ネットワークを実現させるものである。
 
 また、新しい時代のニーズに応えるため、広い緑地帯を設けるなど、生活環境や自然環境との調和と保全に十分配慮し、安全で緑豊かなまちづくりに役立ったことも目指している。
 

外かん基本断面

 構造は、標準的断面として幅員60mの掘割スリット構造(半地下構造)を採用することとしています。「外かん」は、市街化が進んでいる地域を通るため、特に沿道地域の環境保全に配慮する必要があります。このため、騒音・振動・大気質などについて環境を保全し、親しみと潤いのあるみどり豊かな空間を創出するため、片側16m〜20.5mの環境保全空間の中に、遮音壁や幅広い植樹帯を設けることとしています。

外かんの経緯

 当事務所が担当している区間は、東京都葛飾区東金町地先から千葉県市川市高谷地先に至る約13kmである。当該区間の基本構造は、自動車専用道路4車線と一般道路4車線が併設する複断面構造となっている。
 
 路線の位置づけは、自動車専用道路は国土開発幹線自動車道の東関東自動車道水戸線、一般道路部は一般国道298号となっている。
 
 道路構造規格は、専用部は、1種3級、設計速度80q/h、一般部が4種1級、設計速度60q/hとなっている。
 
 都市計画決定は、昭和44年に一般部の中央に高架で専用部が入る計画で行われ、翌45年には事業化となった。
 
 しかし、主に環境問題から、計画の見直しを千葉県、市川市、松戸市から要請され、建設省では、環境に十分配慮する道路構造という観点から、計画の再検討を行い、県・市に提示し協議を重ねてきた。
 
 その結果、県・市から、変更の計画案を受け入れていただき、平成8年12月に、当初の計画決定から実に、27年の歳月を要したが千葉県区間の都市計画変更が決定された。
 
 また、専用部は、平成3年12月の国土開発自動車道建設審議会(国幹審)において、当事務所担当区間全てが、東関東自動車道水戸線として基本計画が決定され、さらに、平成8年12月の国幹審では、このうち、松戸IC(仮称)から高谷JCT(仮称)までの整備計画が決定された。

6かん事業の実施状況

 外かんの計画変更について県・市と協議を進める中で、一般国道6号との交差箇所を大きな区切りとして、6号以北(埼玉県側)については、江戸川渡河部付近の地域交通改善のため、6号以南と切り離して事業を進めることとなった。
 
 このため、埼玉・東京都県境から6号までの約2qについては、昭和53年度から一般部の内回りの工事に着手し、平成4年度までには供用となった。
 
 また、平成4年度からは、江戸川から6号までの間の一般部の外回りについても工事に着手しており、現在も本区間の供用に向けて鋭意工事を推進しているところである。
 
 6号以南については、県、市及び地元住民からの用地の強い買い取り要望を受け、買い取り要望の出された地権者に個々の事情を伺って、人道上やむを得ないと判断したものについて、平成2年度から買収に応じてきており、平成8年度末までに、面積ベースで約46%の買収率となっている。
 
 また、9年度の後半からは、新たに埋蔵文化財調査、地質調査、路線測量に着手したところである。

今後の方針
 6号以北については、埼玉県側の事業と調整を図りつつ、埼玉・東京都県境から6号まで、一般部の早期4車線化に向けて工事を推進する方針としている。6号以南については、都市計画変更を受けて、本格的な事業展開を図ることとしており、引き続き用地の買い取り請求に対応していくとともに、計画買収も推進し、早期に工事に着手する方針としている。
 
 そして、日本道路公団(JH)への施行命令が出されれば、JHとも互いに協力しあって、また、県、市及び地元住民からの一層のご理解とご協力をいただきながら、概ね10年後の供用を目指し事業を推進していく方針としている。

おわりに

 21世紀を目前に控え、社会生活、経済活動が、人を中心として一層効果的・効率的に展開されるよう、道路政策の目標を明示した新たな道路整備五箇年計画(案)が策定され、平成10年度からスタートすることになっている。
 
 新計画は、「人中心の安全で活力に満ちた社会・経済・生活の実現に向けて」を基本コンセプトとし、各種道路施策の方向性が示された。
 
 整備効果が広域的なものから地域的なものにも及び、その内容も多種多様にわたる外かんは、新計画で打ち出されている各種道路施策の多くを受け持つことができ、その整備によって、新計画の基本理念実現に向けて大きな役割を果たすことができると考える。
 
 しかしながら、昨今の厳しい財政事情、多様な国民のニーズを踏まえると、事業の推進にはさらなる努力が必要と認識している。
 
 このため、新計画でも示されているように一層の事業の効率化、透明性の確保、関係機関等とパートナーシップの確立を図るなど事業の進め方においても工夫を凝らし、円滑な事業執行に努め、来るべき21世紀に向け、人々が安全で安心して暮らせる社会の実現の一翼を担ってまいりたい。


 
 

 江戸川に架る橋は建築中です。私は葛飾橋の坂を一気に登り切り、橋の上から上流を見るとモーターバイクが15、6艘が春の川面を楽しそうに縦横無尽に走り回っていました。中には水中に転落したりしても居ました。


 また遥か上流に見える橋は後で調べると松戸三郷有料道路の橋だった。葛飾橋を渡り切ると信号の在る四つ角を左に曲がり土手の下り坂の通りから松戸の市街地に入ると右に新坂川があり、両岸には花壇やプランタンに綺麗な花がたくさん咲いていたので暫し写真を撮ったり見惚れていました。

 おもい直して道路に戻ると暫くすると右側に松戸神社があり、その丘の上には千葉大学の園芸学部教育会館、学生会館、千葉大農場、戸定館などがあり駅前に行くとバスの発着場が1〜4番まであり駅前には北口には、文化ホール、大手スーパーの長崎屋、ダイエー、デパートの伊勢丹,松屋、南口にはスーパーのイトーヨーカドー、ジャスコ、市役所、合同庁舎、税務署、職安、地検、地裁、松戸拘置所、市民会館、丘の上には聖徳短期大学などが在る。

 駅前の繁華街を通り過ぎると常磐線や千代田線と新京成電鉄を跨ぐ陸橋があり陸橋の上からは右に松戸駅が見え左には6本の線路が見える。

 JRは真直ぐに進み、新京成電鉄は右にカーブして消えて行く。歩道は直に下にくだり、また登り坂になり本当に辛い登りになる、やっとの、おもいで登り切ると、そこには国道6号線(水戸街道は横切り)の岩瀬の標識があった。

 ここから胡録台の町中を中央消防署前まで車線の拡幅工事中で左側は立ち退きが終わり歩道と車道の仕切り工事も順調に進んでいます。消防署前で信号待ちをした。

 ここは水戸街道の七畝割の信号を右に分れてきて武蔵野線の新八柱新京成の八柱駅方面に向かう道路です。

 この信号を更に進むと右側にピンク色の3階建ての建物と重なるように四角い煙突に、ひかれて野次馬根性で見に行くと小板橋病院で在り、少し離れて松戸市和名ヶ谷クリーンセンターとスポーツセンターで在った。

 煙突には時計が付いていて時刻は午後2時30分を指していた。道はT路地になり右は町名が二十世紀ヶ丘という、たぶん名前どうりに20世紀梨の発祥の地では無いかと勝手に思っています。

 私は左に曲がり坂道を下ると左に松戸ラドン温泉あり、すぐ坂を登ると左に日枝神社あった。ここまで来ると道不案内で少し不安でしたが前進在るのみと、進と目指す道についに出ました。道路標識には真直ぐ市川、左鎌ヶ谷と在り、坂を登り始めると信号あり10m前には武蔵野線のガードがあり、道路に面して桜並木が延々と松飛台の工業団地を過ぎるまで続いている。

 信号の在る左角から八柱霊園の南西の角であった、ドンドン坂を登ると入り口が在る右にはバスの車庫などもあり、更に行くと、市立松戸高等学校、松戸給水場、霊園墓地を過ぎると松飛台の工業団地、通りの名前もさすがに「さくら通り」と在った。

 右には京成電鉄に乗り入れている北総開発鉄道の松飛台駅が200mぐらいしか離れていない。工業団地を過ぎると大きく右にカーブする。串崎新田の交差点を左奥500mも行くと、道路に面して梨園が途切れなく続いている。梨狩りや芋掘りする所が沢山あります。

 新京成電鉄のくぬぎ山駅前には本社があり、更にくぬぎ山駅と元山駅の間には陸上自衛隊松戸駐屯地も在る。くぬぎ山駅と北初富駅間には電鉄の引込み線車庫が10本も在った。

 そのまま交差点をまっすぐ進むと梨園の梨棚は満開で若い夫婦が一生懸命に添加しているのどかな風景に思わず足を止めて梨の花見、見物をさせてもらいましたが、こんなにユックリ間近かで見るのはこの年まで、初めてで一生忘られません。

 北総開発鉄道の下をくぐると、まもなく道は二股となり一気に細くなり右に行くと鎌ヶ谷カントリークラブゴルフ場へ、左に行くと新京成電鉄の車庫の東はずれをクランクにまがり踏み切りを渡ったが、方向が違うとおもい直して引き返し2、3度左右に曲がると、また、新京成電鉄の踏み切りの傍に出た、すると(あいさつ通り)と書いてある看板が目に入った、面白い名前だな!おもいながら踏みきりを渡った。

 300mも行くと県道57号を右に曲がり300mも行くと上に北総開発鉄道、踏みきりが新京成電鉄北初富駅前を250m右に今柄山公園、左手の住宅の奥の方は梨園が沢山在るようです。500mも行くと東武野田線の立体工事中の下を通り初富の交差点を右折する。横切る道路は県道464号、左は我孫子へ、真直ぐは新京成電鉄線の踏み切りを越して八千代、右は船橋へ、すると1km弱で鎌ヶ谷駅前だ。未だ駅前は整備中で在った。鉄道自体も複線工事中だ。

 東道野辺の交差点を右折し倉本病院の前を通りガード下を過ぎると道成りに行くと左に鎌ヶ谷高等学校や南部小学校、市民の森、右に鎌ヶ谷市中沢みんなのスポーツ広場を見やりながら坂道を下るとT路地を右折するとすぐ左に日本ファイターズスタジアムがありこの日は西武ライオンズ(第5回戦)が行われていた。結果は、あくる日の新聞で西武の勝ちだった。

 試合開始は午後1時より
    西   武 011 001 005 |8
    日本ハム 000 000 000 |0
     [勝]  富 岡 3試合 3勝
     [負]  黒 木 2試合 1負
     三塁打 ポール 二塁打 宮 地、黒 田
 二軍戦とは言え、観衆が何人かは判りませんが野球日和の晴天下、球音と鐘、太鼓と歓声で球場の外まで聞こえ思わず野球好きの私も暫し雰囲気を味わいさせていただきました。時計を見ると午後3時30分を過ぎていたので、駐輪場(駐車場)から入り口に向かうと、そこに案内板があり4・5月の全試合の予定が書かれていた下の箱の中にはパンフレットがあり、それには申込書と特典などが書いてあった。

 内容は下の通りです。


          Fighters2001年日本ファイターズ主催

                      イースタンリーグ公式戦全試合入場証

1入場証でステキなサービスが!

ö協賛店でのご優待

協賛店にてお買い物の際、全試合入場証をご提示いただきますと、お店独自の素敵なサービスが受けられます。

2やった〜、ホームラン!賞品ゲット!!

öホームラン賞

ファイターズチームからホームランが出た場合、抽選により賞品をプレゼント。

お楽しみが毎試合 

öラッキープレゼント                 

毎試合抽選で素敵な賞品をプレゼント。

4ポイントをためてマル優プレゼント

öポイント制(1試合観戦で1ポイント)

35ポイント       来シーズンの全試合入場証1枚

パーフェクトポイント  全試合をご観戦されましたお客様には来シーズンの全試合入場証1枚と日本ハム製品5000円相当分

約43試合予定¥4500 当日料金 大人¥000/小人500 1試合当たり 00円

öお申し込みは

日本ハム球団滑刄亦J事業本部(tel)047−446−5586 (fax)047−446−5785
       
2001日本ハムファイターズ全試合入場証申込書

と書かれていた。

 球場の裏手は鎌ヶ谷C・Cゴルフ場であり、左隣は市川市営霊園であり、その奥は大町自然公園がある。 

 球場を後にするとすぐ一機のヘリコプターが北から南に飛んで行った。右、市川霊園の標識を見たが帰りを急いだすると右に市立市川北高等学校あり反対側には京成バス車庫が見えた。ほんの少し行くと左に市川市保健医療福祉センター(6階建て)在った。

 少し先に十字路があり左は市川松戸道路(今は無料)の入り口の若宮3丁目へ、右は市川市万葉植物園へ、100mも行くと武蔵野線ガードをくぐり700mも行くと市川松戸道路の下を通り右奥に大町中央病院道路に面して昭和儀式殿があった。

 この場所は拙宅前の会社の会長の葬儀が、昨年11月に行われ私が旅行中の為、近所の方々一緒に妻お別れに行きました。後日香典返しの中に香典全額が船橋市に寄付されたと印されていました。

 八広の町で事業に成功され船橋市三山に本社工場を移し社長職を大分前に息子さんに譲られた。と聞いていましたが、大変残念で成りません。謹んでご冥福お祈り申し上げます。そんな思いがありましたので縷々書きました。

 左側を流れる川は市川市立北高等学校の当たりから流れていましたが書き忘れていましたが大柏川です。少しすると左にやまぶき園の看板があったが寄らずに進と川向うにJA市川本店があり木株橋で大柏川と別れ右側の市川学園の前を通り真間川のやわた橋を渡り500mも行ったところで右折するつもりで居たのですが直進したので八幡5丁目と通過したので京成電鉄の京成八幡駅の東側の踏み切りを渡り市川市役所の横で国道14号線(千葉街道)を右折すると東京へ16kmと道路標識に書いてあった50mも行くと右に葛飾八幡宮の鳥居が2つ在り線路向こうに本殿があった。更に150mも行くと左にJRの本八幡の駅、右に京成の京成八幡の駅を見ながら行くと右に松の木の茂った所に諏訪神社在り所々に大きな松の木が並ぶようにJRの市川駅近くまで見える。

 新田5丁目からは中央分離帯があり木にはつぼみや花が咲いていた。市川2丁目まで来ると江戸川に架る市川橋が見え、渡り切ると左に千葉街道真直ぐ行くと蔵前通りへ、表示板には神田まで35分と出ていた。






 蔵前通りを直進して柴又街道を横切りJR小岩駅前を通過し西小岩2丁目で蔵前通りと分かれ奥戸街道へと進み貨物線のガード下をくぐると葛飾区で、すぐに新中川(京成電鉄の鉄橋の下流、高砂橋から分れて江戸川区の瑞穂大橋の所で江戸川に合流する)、レジャーボートが水門から奥戸新橋まで数えると21隻も係留されていた。橋の坂を下ると環状7号線との立体交差点で下を通ると奥戸3丁目交差点右に奥戸大祖神がある、その奥には夜間照明の鉄塔が何本も立っていた、何の施設かと言ってみると立派な葛飾区立の陸上競技場でその奥には屋内体育館とかが在る総合スポーツセンターであった。

 傍を流れる中川に住む魚は次のとおりです。

ボラ フナ ギンブナ ニゴイ モッゴ マハゼ イトミミズ アシナガゴカイ
ハクレン ゲンゴロウブナ ダイハクバラタナゴ

   下側の魚は他所から移植されたものです。

 奥戸街道に戻り本奥戸橋(昭和63年に架け替えられた)を渡り左にカーブすると町の生活観が夕方と重なりプーンと臭ってきた。すると直ぐ右は立石駅前商店街で相変わらずの人出で賑わっていた。パチンコ屋の音や焼き鳥屋や手焼き煎餅屋や焼肉屋やその他の臭いが食欲を誘ってくれます。

 左の区立本田小学校前では東立石桜まつり(八重桜は満開)実行委員会によって行われ、おおぜいの人出だった400mも行くと本田消防署があり、隣は渋江公園です、角の交差点が平和橋通りで、前にはヤマト化工の跡にツインの30数階の都営東四つ木4丁目アパートが、この辺では初めての高層建物です。

 この建物の中には都立東大和療育センター分園、四つ木療育園、在宅サービスセンターなどが入っています。京成電鉄の踏み切りを渡り、すぐ左に曲がると右に葛飾郵便局ある。新しく出来た四つ木駅前を通り首都高速中央環状の通る下の一般道を通り木根川橋(1969年2月約50m上流より現在の所に移設された)の坂を登り右折して荒川放水路の橋を渡ると墨田区です、ここには、いまだに真直ぐ進む道路が四つ木側にも無くどちらもT路地を右左折しか出来ません。土手の上の道路を右折すると、もとに戻りここから600mで我が家。