都の西北

 平成13年2月25日午後2時より拙宅を出発して八広中央通りには、吾が母校都立向島商業高等学校が在り南に100mも行くと右に右折して京成電鉄の踏み切りを越すと曳舟通りでここは、もともと曳舟川で船を引いて土手を歩いたとも聞いていますがこの目で見たことは在りません。

 明治通りを快適にペタルを踏んで行くと向島広小路で右に行くと向島消防署で更に四つ木橋へ、左に行くと浅草、上野へ、昔はここを都電の30番が私の小学校の頃は須崎町が終点だったが、中学校3年修学旅行に行く時には終点も向島広小路まで延長されていました。この線は千代田区の須田町まで行き、朝夕の通勤通学時間には数本が月島まで行っていた。

 傍には都立墨田川高等学校があります。水戸街道を通過する車を長い間見やりながら信号待ちをようやっと過ぎると左に向島百花園をやり過ごし堤通りの右先にの白鬚防災団地が高速6号線沿いに綾瀬川の傍まで長く連成っている建物を見やりながら隅田川に架る白鬚橋を渡るともう左手が台東区、ガスタンクが見える右手の方が荒川区、暫く行くと泪橋の交差点を過ぎると浅草から来る馬車道通りと合流して大関横丁で日光街道を横切るとすぐに常磐線のガードを潜りSの字カーブをすると右に荒川区役所、左に荒川警察署を見やりながらすぐ近くに計画通りに建と荒川区では一番高い建築物(マンション)になるようですが反対運動で中断している現場を見ながらぺタルを踏むと宮地ロータリーに成ります、右に行くと尾竹橋、左に行くと尾竹橋通りで常磐線の三河島駅の傍通り過ぎると暫く行くとT路字の言問通り入る。

 又左前に進むと西日暮里駅前へ行く道灌山通りです。ロータリーを真っ直ぐ横切って更に進みますと京成本線の新三河島駅前のガード下過ぎると明治通りの両側にあらゆる機械を売っているお店が東北本線の尾久駅前まで連なっていましたが今ではその名残りが少し残っている程度です。

 ちょっと横道にそれますが、田端新町3丁目交差点を右折すると隅田川に架る小台橋過ぎると荒川に架る本木大橋になり、先は足立区です。

 また尾久駅前の手前西尾久4丁目の交差点を右折して都電荒川線を横切って行くと隅田川沿いに区立の荒川遊園地がありちょっと賑やかな所ですよ。又この辺の都電荒川線沿線には四季咲きのバラが手入れ良く大変綺麗に咲いていますよ。

 ママチャリは快調に明治通りを進と都電の荒川線の踏みきりを過ぎると左にJRの王子駅その後ろの小高い所が飛鳥山公園で駒込、池袋へと行きます。

 右には首都高速中央環王子線(川口線と5号池袋線の間、7.1kmを高架でつなぐ‘足立区江北―板橋区板橋’)、新宿線の(首都高速の3号5号池袋線と渋谷線を板橋区熊野町から目黒区青葉台まで11kmのトンネルでつなぐ工事で1日平均約4mずつ掘り進んでいるそうです。

 渋滞の減少で、地球温暖化の原因となる2酸化炭素の排出を年間25,000トン減少させる効果も期待されている。それは、代々木公園の14倍の広さの照葉樹林が1年間で吸収する二酸化炭素の量に相当するらしい。

 山手通りの地下約40mの岩盤を、直径13mのシールドマシンがゆっくり掘り進んでいます。コンピューターで管理された42本の油圧ジャッキーが円盤状のカッターを力強く押し出す。

 カッターは3分で1回転し岩盤を削る、カッターの進む方向はセンサーで確認しながら掘り進む方向がずれないように作業員は細心の注意を払う。なお、ちなみに両線の総事業費は約1兆4千億円。

 これに対して、開通のよって得られる経済的利益や、貨幣価値に換算した環境改善効果などを合計すると、40年間で約4兆8千億にのぼると、同公団では試算していると読売新聞の記事を読みましたが、完成予定2006年度)、開通を目指して工事中です、さらに行くと荒川に架る世界にも珍しい2重構造のニールセンローゼ橋が悠然ともう完成しているように見えます。

 橋の手前の隅田川沿いには再開発中の土地が風雨に晒され雑草が茂っています、近寄ってみると反対運動の黄色いビラがいっぱい張られています、これからも解決しなければなら無い問題が何処の地域にもあるんだなあと思いながら通り過ぎました。

 もとに戻り音無川に架る溝田橋そして王子ロータリーの付近には大蔵省印刷局王子工場やちょっと離れると紙の博物館や王子線の工事の為、音無川が蓋をしたような格好にも見えます。

 王子線の方は2002年度には開通するそうで出入り口あたりは舗装されれば何時でも使えそうです、近所の人達も待ちどうしい事でしょう。

 これから明治通りと別れて更に直進しますと王子3丁目3差路で王子駅前から来る道路と交差しながら直進、この道路の下には地下鉄南北線(目黒〜赤羽岩淵)が工事中の埼玉高速鉄道とドッキングする日も近い内に有るだろうな思いながら北本通りを真北に進むと王子消防署があり、さらに道路の左右には大きな会社や工場の建物や空き地がある中を過ぎると環状7号線と交わる宮堀の立体交差点、右に行けば隅田川に架る新神谷橋そして荒川に架る鹿浜橋、目の前には首都高速6号川口線が見える。

 宮堀から左に行けば板橋本町で首都高速5号線の下を通ると大原に至る。宮堀を北に行くと暫くすると左に北区のゴミ焼却場の大きな勇姿があり右奥へ直線で500mも行くと隅田川と荒川が合流する岩淵水門があり、少し上流が岩槻街道の新荒川大橋です 
 道路下の地下鉄も赤羽岩淵で終点と成るが(平成13年3月28日埼玉高速鉄道線、赤羽岩渕から浦和美園まで開通します。中間駅として、川口元郷、南鳩ヶ谷、鳩ヶ谷、新井宿、戸塚安行、東川口、終点、浦和美園)、ママチャリは順調に又快調にランララン。

 右側を流れる川は隅田川に流れ込む新河岸川です、すぐ東北本線のガードを潜り、又、東北上越新幹線と埼京線ガードを潜ると家並みも少しゆったりして来たような気がしてきました。

 道路も拡張工事の最中で、あちこちで広く成ったり狭くなったりで非常に走りにくく、段差が有って危なかったが今少し経てば広くて綺麗な道になるでしょう。

 初めて来る所なので道路の名前は判りませんでしたが後で環状8号線と判りました。ここまでは起伏も余り無く、有っても下り坂が多く楽に走って来ましたが、首都高速5号池袋線の中台インターの信号待ちして左に曲がると一気に短い急坂を登り切ると赤信号に止められ一息入れて若木、中台、常盤台と走り以前(30年以上前)環状7号線の富士見町交差点を右折して練馬区北町2丁目のお得意の会社へ製品を納めに通った見覚えの有る道だなあ、と思いながら行くと間違い無かった。

 それにしても見違える程綺麗に成っていた。東武東上線に沿ってここからは私も初めてですが西台、徳丸、赤塚と下り、坂を登ったり下ったりと下町には無い1度ママチャリで挑戦してみたいと思って居たコースだったのです。下赤塚駅の所で左折して商店街を抜けて川越街道に出ました。

 この街道は少し手前で地下鉄有楽町線が通っていて所々の駅の出入り口有り赤塚新田、成増と知らぬ間に環状8号線も通過していました。

 長い登ったり下ったりの坂道を幾つも超えて、はや埼玉県の和光市までやってきました。市内へ入る最初のこの坂道は今日一番の苦しい上り坂だったがそれでもサドルにお尻を乗せて登り切ると左折した。

 かどの骨董品店には歩道いっぱいに大勢の人達が右往左往して品物を探していました、横目で見ながら笹目通りを1.2kmも行くとこの間も登ったり下ったりの、きつい坂が幾つもあり、凄く疲れました。

 また練馬区光が丘の一段と目立つビル群を左に見ながら高松6丁目の標識をひだりに入って行くと道が急に広くなり都営12号線の光が丘の駅があった。

 もとに戻り、先に行く5差路を真っ直ぐ行くと上高井戸、右に行くと関越自動車道、みぎ斜め前方へ行くと富士街道で西東京市、私は左折して目白通りを左手に3つのガスタンクを見ながら行くと環状8号線が上を跨ぐ工事現場見ながら谷原、高松、貫井、向山まで来ると、仮設の立体橋に来ました車道と歩道は別々に在るのかと探したが無く車道の隅を登ると鉄道が2段とこの仮設とが交差しその時は不思議な光景だなと思ったが一刻も速く渡り切ろうと急いだ。

 後で知ったのだがここが中村陸橋と言い西武池袋線の最後の立体工事中の現場だと、テレビのニュースで知った。一晩で道路と鉄道が上下が入れ替わると言う徹夜工事を見学する野次馬が多数朝まで見守った所だった。

 左へ550メートルも行けば豊島園があり、右から千川通りと豊玉北4丁目で一緒になり右に練馬区役所、左に都税事務所、練馬駅近くに練馬警察署、消防署があり練馬、豊玉北と来ると豊玉陸橋で環状7号線を横切り500メートルも行くと中野区江原町、豊島区南長崎、新宿区中落合で山手通りと交差し、下落合と来ると右に西武新宿線と一緒にはしり、山手線、埼京線の下を通り左に学習院大学の森を見て明治通りの下を流れる善福寺川(神田川)の高戸橋を左に見ながら都電荒川線が道路を横切りながら、目白通りの中へ入ってきて面影橋、終点、都電早稲田駅があり、右に早稲田大学の校舎を見ながら過ぎるとT字路になり外苑東通りが右へ、そのまま行くと江戸川橋、上に環状5号池袋線、下に地下鉄有楽町線左に行くと護国寺に行く音羽通り、右に行くと山吹町、関口、水道、後楽と来ると外堀通りと交差、ここは2月に行われる東京マラソンのコースです、右、市ヶ谷、左、水道橋。

 JR飯田橋駅のガード下を通り道路下を地下鉄東西線が走る内堀通りを飯田橋2丁目で左に曲がり、専修大学通りに入り専大前で左へ靖国通りへ入る、下を地下鉄都営新宿線、神田神保町〜神田小川町までは本屋さんとスキー用品その他お店でいっぱいです、土日となると若者で大賑わいです。

 神田淡路町、神田須田町まで来ると左に行くと電気の町秋葉原、右に行くと日本橋、道路下を銀座線が走っています。

 真っ直ぐ行くと中央線のガード、そして山手線、京浜東北線、東北、上信越新幹線のガード下を潜り、すぐ昭和通り、その上を首都高速1号線が走る、左に上野、右に本町、真っ直ぐに神田東松下町、岩本町、東神田、日本橋馬喰町で江戸通りと交差し左に行くと浅草、右に行くと新常盤橋へ、道路下を都営浅草線が走っています。

 真っ直ぐ行くと隅田川に架る両国橋、ついに我が住む町、墨田区へ、左に行くと、JR両国駅その奥に相撲の殿堂国技館そして安田庭園、同愛記念病院など、右側には京葉道路に面して回向院、そして本所警察署、ちょっと奥には吉良邸跡、京葉道路をはさんで両側にはたくさんの相撲部屋や力士に関係するものや、ちゃんこ料理屋などなど、すぐ清澄通りと交差し、道路の下を去年12月12日開通した大江戸線が走っています。

 左に行くと江戸博物館、震災慰霊堂、右へ行くと清澄庭園そして門前仲町、真っ直ぐ暫く行くと、三つ目通りと交差し左に行くと石原、本所、東駒形、吾妻橋と進むと水戸街道となる、右に行くと亀沢、立川、菊川、そして江東区へ、さらに京葉道路を行くと昔の名残の堀(大横川)に架る江東橋を渡るとそこは区内一番の歓楽街、錦糸町。

 JR錦糸町駅、首都高速7号線ランプ、中央競馬会場外馬券売り場、都立墨東病院、江東楽天地、直進すると亀戸、小松川、右に行くと、東陽町、私は駅前を左に曲がり4つ目通りへ、ここは今、地下鉄半蔵門線が水天宮からの延長工事が始まり住吉から押上まで交通が制限され混雑しています。

 JRのガードを抜けると左に再開発され北口の駅前ビルが建ち、残念ながら、その内の一つ、そごうデパートが倒産しチョット寂しくなります。右には錦糸公園見ながら進とすぐ蔵前通りを横切り錦糸、太平、横川を過ぎると右に本所防災館(ここは東京でも3つしかない地震、火災、救護、などの実体験のできる公共施設です。オセッカイナガラ1度行ってみる価値がありますよ・・・・)。

 警視庁第7方面本部(警視庁第2機動隊)、そして業平3丁目には大相撲春場所優勝した魁皇(通算2度目)の友綱部屋があります。地下鉄の工事中の現場を横目で見ながら行くとすぐ浅草通りと交差する。

 右に行くと明治通り、40余年昔にはここが都電24番の柳島駅が在り、おもに中央区の月島と一部が千代田区の須田町まで行ってました。

 左に行くと墨田区役所及び浅草です。押上駅前の十間橋の坂を登ると京成電鉄と都営浅草線の押上駅が地下にあります。

 そして今、更にその下に地下鉄半蔵門線とその押上駅と東武鉄道の高架の複々線と東武鉄道のマンションの工事であたり一面てんやわんやです。

 そんな光景を眺めながら押上通りを北上すとすぐ道路は半分ぐらいの広さとなり凄く細くなり、また本所地区のように碁盤の目のように区画整理がされていないので、どの道も昔の田んぼのあぜ道を広くしたような曲がりくねった道ばかりです。まもなくすると、東武鉄道亀戸線の踏み切りを渡り、京島です。

 ここは日本一密集地帯と言われる所ですが、最近では、まちづくり公社により3.4階建ての、建物に建て替えているようです。

 京成電鉄もやっと押上駅(押上2丁目)から八広駅(八広5丁目)までの高架にする事業認可が平成12年11月13日下り、いよいよ土地の買収が始まります。

 そうこうするうちに明治通りまで戻り、八広中央通りから我が家に到着。所要時間3時間30分で、距離は50kmぐらいでしょう。