見沼代親水公園
伊興と伊興寺町付近は、足立区内随一の古代から連綿と続く歴史、そして史跡の宝庫であり、竹ノ塚駅からゆっくりと徒歩で巡れば、古墳時代は白旗塚古墳、伊興遺跡公園、古代は応現寺出土の「星兜:国立博物館蔵」実相院の観音像(レプリカが郷土博物館にある)があり、中世には千葉勝胤の話、近世は寺町には震災後、区内に移ってきた「有名」な寺院があり桂昌院の墓や安藤広重の記念碑等見るべきものが沢山そろっている。
東武線の竹ノ塚駅から北に向かって、1.3qの赤山街道の古千谷橋を右に入る遊歩道と水路とで築園されている。約2q。親水ゾーン・ふれあいゾーン・こもれびゾーン・水生植物園ゾーンと分かれ・木々も茂る。残念ながら、個々の木に名前が解る木札でも、ぶら下がっていれば、なお一層親切というもの。
この親水公園も、武蔵野の路の一部で東京湾を望む”海の路”、河川沿いに延びる”川の路”、緑地や湖を巡る”森の路”、首都圏自然歩道につながる”山の路”、など、それぞれ特色のある21のコースの中の一つである。各地の自然や歴史や文化にふれあいながら、東京を周回できる270qの散策路で、自転車や徒歩でたどると東京の町の大きさ、変化に富んだ四季の豊かさ、歴史や文化の奥行きの深さにふれられる。
古千谷から遊歩道へ入ると、水路と遊歩道が半分づつに道路に挟まれたように真ん中にあり、水路の中に丸く囲まれた所に植えられた植物が元気に育っているあたりの道路越しに古千谷小学校の学校農園の看板があり、昔疎開していた時に通っていた小学校の農園を思い出し、暫し自転車を止めて見入ってしまった。疎開先から帰りこの方今日まで学校農園がこの地にこうして存在している事も知らなかった。
左前方が開けると、平屋建ての思い切り休める休憩ハウス、そして緋鯉が優雅に泳ぐ水路を過ぎると、がぜん子供や家族連れが多くなる。ザリガニ取り、子供プール、水車、子供遊園、東屋、そして左に古めかしい舎人諏訪神社が大きな木に囲まれて薄暗くなった社が境内の奥にある。
裏側に回ってみると、覆舎の中には江戸時代末期の神社建築の特徴を施した遺構としても注目されている。平成2年1月には足立区有形文化財として登録されている。
後僅かで、尾久橋通りだ。交差する角には
見沼代用水は、干拓された溜井の代替(だいがえ)用水として「代用水」の名で呼ばれるが、単なる代用水ではない。豊富な利根川本川に水源を求めて、不足する用水を供給し、安定させ、同時に排水路を整備することにより、関東平野中部地域の既成の用排水系統を再編成し、池・沼の干拓を行うという、大きな意味をもっていた。
この用水の完成により、旧利根川と旧荒川の三角州地帯では、関東流による葛西(かさい)用水系統に紀州流による見沼代用水系統が重なり、微高地に開削された見沼代用水の余排水が定位部の古利根川に流出し、葛西用水の水源としての機能を果たすという、実に大規模かつ合理的な水利用の反復形態が確立された。