伊興寺町




法受寺

 当寺は、正暦3年(992)恵心僧都によって、豊島郡下尾久の地に、天台宗恵心院法受寺として開創され、文永元年(1264)浄土宗に改宗された。宝暦3年(1753)都島郡谷中に移転し、新幡随院法受寺と称したが、関東大震災後、下谷三崎町の法受寺と浅草の昭光山安養寺とが合併して、昭和10年に現在地に建立された。草創以来990余年に及ぶ古寺である。

 当寺には嘉元2年(1304)奉納と伝わる鎌倉幕府8代将軍久明親王の父、後深草法王の法体木像ならびに正応3年(1290)に納められたという御尊碑がある。

 また、5代将軍徳川綱吉の生母、桂昌院の墓がある。将軍の生母として大奥に絶大な勢力を振るい、女性にとって最高の位階である従一位を生前贈られている。この墓は区の登録文化財になっている。同じ墓域に常陸国笠間城主本庄宗資の墓や柔術家関口弥太郎の墓、書家墨庵の墓などがある。

 「怪談:牡丹灯篭」と書かれた石碑
名人:円朝が創作した「怪談牡丹灯篭」は谷中三崎町(この法受寺が、元あったところ)が、とても淋しく、寺が怪談話の創作の舞台になったといわれている。

もと浅草清川町にあったが、関東大震災のため、昭和3年
現在地に移転してきた。歌舞伎で有名な「花川戸助六と揚
巻」の墓や、7代目団十郎が建てた「助六の塚」の碑がある。